[音の地球儀]第5回──詩が音になる国:イランの声楽とダストガー

民族音楽は、その土地の暮らしや風土、信仰、歴史を音に刻み込んだ、人類の“声”である。電子音が世界を席巻する今もなお、世界各地には太鼓や笛、声と手拍子だけで継承されてきた音楽文化が息づいている。この連載では、アフリカのサバンナからアジアの山岳地帯、南米の密林から極北のツンドラ地帯まで、世界中の知られざる民族音楽を訪ね歩く。単なる紹介にとどまらず、その背景にある文化や物語にも光を当て、音楽を通じて世界をより深く知る旅へと誘う。音の地球儀を、いま一緒に回しはじめよう。

もし音楽が「時間の芸術」であるならば、イラン古典声楽は「時間の中で詩を育てる庭」である。旋律は急がず、言葉の意味に寄り添いながら膨らみ、しばしば音は沈黙と共に在る。第5回となる本稿では、イランの声楽を中心に、ダストガーと呼ばれる音楽理論体系、詩と旋律の密接な関係、そして現代におけるその響きの再解釈までを探る。ガムランが揺らぎ、グリオが語り、ブルガリアが不協和を響かせ、ナヴァホが祈ったように──ここでは「詩」が、声とともに音になる。

出会い:詩が声になるとき

テヘランの深夜、ラジオから流れてきた声は、まるで詩を一音ずつ口に含むようだった。旋律はあってないようなもの。拍子は揺れ、音程は決まりきらず、しかしどこかしら圧倒的な内的緊張をまとっていた。

それはペルシャ古典音楽──ダストガーに則った声楽の即興だった。サントゥール(打弦楽器)、タール(撥弦楽器)、トンバク(打楽器)などがゆっくりと間を測るなか、声は詩のひとつひとつの語を、繰り返し反芻しながら昇華していく。その時、音楽は「情緒の翻訳」ではなく「詩の顕現」になる。

ダストガーとはなにか──音楽理論と情緒の地図

イラン古典音楽は、ダストガー(Dastgah)と呼ばれる旋法体系に基づいている。これはアラブ世界のマカーム、インドのラーガに相当するが、特に詩との関係性の深さにおいて際立っている。

現在主に用いられるのは7つの基本ダストガー(Shur, Homayoun, Segah, Chahargah, Rast-Panjgah, Nava, Mahour)であり、それぞれが特有の音階、雰囲気、時間帯、情緒を持っている。

例えば、Shurは深い哀愁と霊性を、Mahourは希望や歓喜を象徴する。だが重要なのは「固定されたスケール」ではなく、それぞれが数十のグシュエ(Gusheh:小旋律単位)を内包する柔軟な枠組みであること。演奏家は、その枠の中で即興を行いながら、歌詞や観客、空気に応じて選択を繰り返す。

声と詩──ハーフィズとルーミーを歌う

イラン古典声楽において、歌詞はほぼ例外なく詩である。使用されるのはハーフィズ、ルーミー、サアディーといった中世ペルシャ詩人たちのガザル(恋と神への探求をテーマとした詩)で、旋律は詩の感情を浮かび上がらせるための媒体である。

例えば、ルーミーの「恋は静寂の中で火を灯す」の一節を用いた即興では、その「静寂」がまず演奏で表現される。声楽家は、ある語を繰り返し、あるいは長く引き伸ばしながら、意味を深めていく。

YouTubeには、伝説的声楽家モハンマドレザー・シャジャリヤーンの演奏記録が多数残っており、彼の『Bidad』や『Dastan Ensembleとの共演』では、詩と旋律の融合がいかに精緻で即興的かを知ることができる。

音程は揺らぎ、拍は流れる──音楽的特徴

ペルシャ音楽における最大の聴きどころは、音程の微細な揺らぎ(マイクロトーン)とリズムの流動性である。音階は西洋の12平均律とは異なり、微分音(例:三分の一音、四分の一音など)を含むため、同じ「ラ」の音も、コンテクストによって高くなったり低くなったりする。

また、即興演奏(アーヴァーズ)は明確な拍子を持たず、語りのように流れていく。リズムが定まるのは、主に器楽合奏や舞曲的な場面においてのみであり、声楽は時間そのものを引き延ばし、折りたたむようにして展開される。

この柔らかい音の運びは、日本の能楽や声明にも通じる。音の明暗、張力、言葉の“間”によって音楽は生まれる。

イラン音楽の現代──制約と創造の交差点

1979年のイラン革命以降、音楽は長らく厳しい制限下に置かれてきた。特に女性による歌唱は公共空間では禁止され、録音や動画も制限されている。しかし、こうした状況下でも多くの女性歌手や若手演奏家たちが、オンラインを通じて活動を展開している。

例えば、女性歌手マーサ・ヴァハダートは国外からの活動を続け、『I am Eve』などの作品で、女性の声によるダストガーの力強さと繊細さを伝えている。また、ピアノや電子音を導入し、詩と旋律の新たな再解釈を試みるアーティストも増加している。

ペルシャ古典音楽は“伝統”であると同時に、常に“更新される場”でもある。声と詩の関係性は、社会的制約を逆手にとるようにして、より内省的で密度の高い表現へと深化している。

結び──旋律が詩を運ぶとき

ガムランが空間を震わせ、グリオが歴史を語り、ブルガリアが女声で張り詰め、ナヴァホが儀式を編んだように──イランの声楽は、旋律で詩を運ぶ。音は語を抱きかかえ、時間は言葉の余韻を膨らませる。

音楽とは、誰かの声が他者に触れる瞬間の連なりである。イランのダストガーは、その本質をいまに伝える静かな炎だ。次回、音の地球儀は、また新たな“声の大陸”を目指して回り始めるだろう。

Sera H.:時代を越える音楽案内人/都市と田舎、過去と未来、東洋と西洋。そのあわいにいることを好む音楽ライター。クラシック音楽を軸にしながら、フィールド録音やアーカイブ、ZINE制作など多様な文脈で活動を展開。書くときは、なるべく誰でもない存在になるよう心がけている。名義の“H”が何の頭文字かは、誰も知らない。

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