[連載:What’s Hip-Hop?]1970年代:ヒップホップの誕生

ヒップホップは1970年代のニューヨーク・ブロンクスで誕生し、ストリートカルチャーとしての精神を持ちながら、音楽、ファッション、アート、そして社会運動と深く結びつきながら進化してきた。80年代には商業的成功を収め、90年代には東西抗争やギャングスタ・ラップの台頭によって激動の時代を迎える。2000年代に入ると、ストリーミング時代の到来とともにその影響力を拡大し、トラップやクラウドラップといった新たなスタイルが生まれた。そして現在、ヒップホップは世界中で楽しまれる音楽ジャンルへと成長し、社会的メッセージを発信する重要な文化のひとつとなっている。誕生から半世紀を迎えたヒップホップは、今もなお進化を続け、次世代の表現者たちによって新たな歴史が刻まれようとしている。

ヒップホップは1970年代のアメリカ・ニューヨーク市ブロンクス地区で誕生した。この時代、ニューヨークのブロンクスは都市再開発の影響で貧困や犯罪が蔓延し、社会的に厳しい状況にあった。しかし、そんな中で若者たちは新しい文化を生み出し、それが後に世界を席巻するヒップホップというムーブメントへと発展していく。ヒップホップは、DJ(ディスクジョッキー)、MC(マスター・オブ・セレモニー)、ブレイクダンス、グラフィティの4つの要素から成り立ち、音楽やダンス、アートを通じてコミュニティを形成する文化として広まっていった。

DJクール・ハークと「ブレイクビーツ」

ヒップホップの誕生において最も重要な人物のひとりが、ジャマイカ出身のDJクール・ハークだ。彼は1973年8月11日、ブロンクスのセジウィック・アベニュー1520番地のアパートで妹の誕生日パーティを開催した。このパーティはヒップホップ誕生の瞬間として語り継がれている。

クール・ハークは、ジャマイカのサウンドシステム文化(ストリートで巨大なスピーカーを使い音楽を流すスタイル)をニューヨークに持ち込んだ。そして彼が考案した革新的な技術が「ブレイクビーツ」である。これは、ファンクやソウルなどの楽曲の中からドラムソロ(ブレイク)部分を2枚のレコードを使ってループさせ、ダンサーが踊りやすいようにする手法だった。この技術はヒップホップの音楽的基盤を築くものであり、後にターンテーブリズムへと発展していく。

この時期の代表的な曲として、クール・ハークがよくプレイしていたジェームス・ブラウンの「Give It Up or Turnit a Loose」やインクレディブル・ボンゴ・バンドの「Apache」などがある。これらの楽曲のブレイク部分は、B-BOY(ブレイクダンサー)たちが踊るのに最適なリズムを提供し、ブレイクダンスの誕生にもつながった。

MCの登場とラップの始まり

ヒップホップのもうひとつの重要な要素として、「MC(マスター・オブ・セレモニー)」の役割がある。初期のパーティでは、DJが音楽をプレイし続けるだけでなく、観客を盛り上げるためにMC(司会者)がマイクを使って観客に語りかけるスタイルが生まれたのである。

MCは最初、単なるアナウンスをする役割だったが、やがてリズミカルに言葉を乗せるようになり、これが「ラップ(RAP)」の原型となる。初期のMCには、クーク・ディーやグランドマスター・キャズなどがいた。彼らは、観客を楽しませるためにリズミカルなシャウトやライム(韻を踏んだ言葉)を使い始め、これが後のラップミュージックの基盤を作った。

グラフィティとブレイクダンスの誕生

ヒップホップ文化は音楽だけではなく、視覚芸術やダンスの要素も持っている。その中でもグラフィティとブレイクダンスは重要な要素である。

  • グラフィティは、ニューヨークのストリートアートとして発展した。1970年代には、若者たちがスプレー缶を使って地下鉄や壁に自分たちの名前やシンボルを描く「タグ(Tagging)」文化が生まれ、ストリートアートとしてのグラフィティが発展した。代表的なアーティストとして、TAKI 183やFutura 2000などが挙げられる。
  • ブレイクダンス(B-boying)は、DJクール・ハークのブレイクビーツをきっかけに誕生したストリートダンス。最初は、ダンサーたちが音楽のブレイク部分で即興的に踊る「グッドフット」スタイルだったが、やがてアクロバティックな動きやフットワーク、ウインドミルなどの技が加わり、独自のダンススタイルへと進化していく。

アフリカ・バンバータとヒップホップの哲学

1970年代後半になると、ヒップホップは単なるパーティカルチャーを超え、「平和・団結・楽しさ・知識(Peace, Unity, Love & Having Fun)」という哲学を持つ文化へと成長する。この理念を広めたのが、アフリカ・バンバータである。彼はブロンクスのストリートギャングだったものの、音楽の力を使って暴力を減らし、コミュニティを良い方向へ導こうとした。

バンバータは1977年に「ユニバーサル・ズールー・ネイション」という団体を設立、ヒップホップをひとつの文化として確立する活動を始めた。彼の影響によって、ヒップホップは単なるストリートパーティではなく、社会的なメッセージを持つカルチャーへと発展していった。

ヒップホップの誕生から広がりへ

1970年代の終わりには、ヒップホップはブロンクスのパーティシーンから、ニューヨーク全体へと広がり始めた。この頃になると、グランドマスター・フラッシュがスクラッチなどのターンテーブル技術を発展させ、ヒップホップのDJスタイルをさらに洗練させていく。そして1979年にはシュガーヒル・ギャングが「Rapper’s Delight」をリリースし、初めて商業的に成功したヒップホップソングとなった。

このように、1970年代のヒップホップは、DJクール・ハークのブレイクビーツ、MCのラップ、ブレイクダンス、グラフィティ、そしてアフリカ・バンバータの理念によって形成され、1980年代へと続く大きなムーブメントへと発展していったのである。

Jiro Soundwave:ジャンルレス化が進む音楽シーンにあえて抗い、ジャンルという「物差し」で音を捉え直す音楽ライター。90年代レイヴと民族音楽をこよなく愛し、月に一度は中古レコード店を巡礼。励ましのお便りは郵便で編集部まで

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