[轟音の記憶 – ヘヴィメタル50年史]第4回:商業の嵐 – グランジ時代とメタルの受難

1990年代:メタルの試練と変革

1991年9月24日、シアトルの小さなインディーレーベルDGC Recordsからリリースされた一枚のアルバムが、ヘヴィメタル界に激震を走らせた。ニルヴァーナの『Nevermind』である。このアルバムがビルボードチャートの頂点に立った瞬間、メタルシーンは「死の宣告」を受けたかのような衝撃に包まれた。

80年代後半に絶頂期を迎えていたヘアメタル(グラムメタル)は、華やかなルックスと商業的な成功で音楽業界を席巻していた。ボン・ジョヴィ、デフ・レパード、ポイズンらがチャートを独占し、MTV世代の若者たちを魅了していた。しかし、このきらびやかな世界は、シアトルから吹き荒れた「グランジ」という嵐によって一夜にして瓦礫と化すのである。

グランジブームによるメタルシーンへの打撃

グランジが持つ反商業主義的な姿勢は、メタルシーンの価値観を根底から覆した。ニルヴァーナ、パール・ジャム、サウンドガーデンらが纏う「反体制」「反権威」の精神は、80年代メタルの華美な演出とは正反対のものだった。彼らは高価な衣装を拒否し、古着やボロボロのジーンズを着こなし、音楽そのものの純粋性を前面に押し出した。

この変化は音楽業界全体に波及した。レコード会社は次々とヘアメタルバンドとの契約を打ち切り、グランジバンドの獲得競争を繰り広げた。MTVのプレイリストからはメタルビデオが姿を消し、代わりにグランジの無骨なビデオが流れるようになった。まさに「メタルは死んだ」と囁かれる時代の始まりだった。

しかし、この危機的状況こそが、メタルシーンに新たな創造力をもたらすことになる。生き残りをかけたバンドたちは、従来の枠組みを超えた実験的なアプローチを模索し始めたのである。

メタリカの商業化と「Sell Out」論争

1991年8月、奇しくもニルヴァーナの『Nevermind』と同時期にリリースされたのが、メタリカの『Metallica』(通称ブラックアルバム)である。このアルバムは、バンドの音楽性に劇的な変化をもたらした。従来のスラッシュメタルの複雑な楽曲構成を捨て、よりシンプルでキャッチーなアプローチを採用したのである。

プロデューサーにボブ・ロックを迎え、商業的な成功を狙った楽曲作りは功を奏し、アルバムは全米1位を獲得、1600万枚を超える売上を記録した。「Enter Sandman」「The Unforgiven」といった楽曲は、メタルファン以外の層にも広く受け入れられた。

しかし、この成功は激しい「Sell Out(売国奴)」論争を引き起こした。長年のファンからは「メタリカは商業主義に魂を売った」「真のメタル精神を裏切った」という厳しい批判が浴びせられた。バンド自身も、1996年の『Load』、1997年の『ReLoad』でさらに実験的な方向性を打ち出し、論争はさらに激化した。

この論争は、メタルシーン全体が直面していた根本的な問題を浮き彫りにした。アンダーグラウンド精神を保持しながら、どのようにして商業的な成功を収めるのか。純粋性と生存戦略のバランスをどう取るのか。これらの問いは、多くのメタルバンドが抱える共通の悩みとなった。

オルタナティブメタルの台頭

グランジの影響下で生まれた新たなムーブメントが「オルタナティブメタル」である。このジャンルは、従来のメタルの重厚さを保ちながら、オルタナティブロックの実験性を取り入れた革新的なサウンドを特徴としていた。

その先駆者として注目されたのがトゥールである。1993年のアルバム『Undertow』で頭角を現した彼らは、複雑な拍子とプログレッシブな楽曲構成、そして哲学的な歌詞で独自の世界観を構築した。ダニー・ケアリーの変則的なドラミング、アダム・ジョーンズの重厚かつ緻密なギターワーク、そしてメイナード・ジェームス・キーナンの感情的なボーカルは、メタルに新たな可能性を示した。

アリス・イン・チェインズもまた、この時代を代表するバンドのひとつである。彼らはグランジシーンの一員として位置づけられることが多いが、そのサウンドは明らかにメタルのDNAを受け継いでいた。ジェリー・カントレルの暗く重いリフと、レイン・ステイリーの絶望的な美しさを湛えたボーカルは、90年代の閉塞感を見事に表現していた。

サウンドガーデンのクリス・・コーネルは、4オクターブを超える驚異的な音域と、レッド・ツェッペリンやブラック・サバスから受け継いだクラシックなメタルの要素を現代的にアップデートすることで、オルタナティブメタルの新たな地平を切り開いた。

これらのバンドは、メタルが単なるノスタルジアに留まらず、時代とともに進化し続けることができることを証明した。彼らの成功は、メタルシーンに希望の光をもたらしたのである。

Nu-Metalの登場とメタルの再定義

1990年代中盤になると、さらに革新的なムーブメントが登場した。Nu-Metal(ニューメタル)である。このジャンルは、ヘヴィメタルにヒップホップ、ファンク、電子音楽などの要素を融合させた前例のないサウンドを特徴としていた。

コーンは1994年のデビューアルバムで、7弦ギターとフィールディ独特のベースサウンド、そしてジョナサン・デイヴィスの感情的なボーカルスタイルでNu-Metalの基礎を築いた。彼らの音楽は、従来のメタルファンには理解し難いものだったが、新世代のリスナーには強烈なインパクトを与えた。

リンプ・ビズキットは、フレッド・ダーストのラップとヘヴィなサウンドを組み合わせることで、Nu-Metalを商業的な成功に導いた。1999年の『Significant Other』は全米1位を獲得し、Nu-Metalがメインストリームに受け入れられたことを示した。

リンキン・パークは2000年の『Hybrid Theory』で、メロディックな要素とヘヴィなサウンドを巧妙にブレンドし、Nu-Metalの可能性をさらに押し広げた。チェスター・ベニントンとマイク・シノダの二人のボーカリストによる掛け合いは、新たな表現方法として注目を集めた。

Nu-Metalの登場は、メタルの定義そのものを問い直すきっかけとなった。従来の「真のメタル」という概念に固執するファンからは激しい批判を受けたが、新しい世代のリスナーにとって、これらのバンドは紛れもなくメタルだった。

インダストリアルメタルという新境地

同時期に台頭したもうひとつの重要なジャンルが、インダストリアルメタルである。このジャンルは、電子音楽とヘヴィメタルを融合させることで、機械的で冷たい美学を追求した。

ミニストリー、ホワイト・ゾンビ、ナイン・インチ・ネイルズらがこの分野の先駆者として活動していたが、90年代中盤にはより幅広い層に受け入れられるようになった。特にホワイト・ゾンビのロブ・ゾンビは、ホラー映画的な美学とインダストリアルサウンドを組み合わせることで、独自のキャラクターを確立した。

ラムシュタインは、ドイツからこのシーンに参入し、劇場的なライブパフォーマンスと重厚なサウンドで世界的な成功を収めた。彼らの音楽は言語の壁を超え、インダストリアルメタルが国際的なジャンルであることを証明した。

これらの新しいアプローチは、メタルが持つ可能性の幅広さを示すものだった。電子音楽との融合は、メタルに新たな表現手段を提供し、従来の楽器編成にとらわれない自由な創作を可能にした。

商業性 vs アンダーグラウンド精神の葛藤

1990年代のメタルシーンを通じて浮き彫りになったのは、商業的な成功とアンダーグラウンド精神の間の永続的な緊張関係である。この葛藤は、単純な二元論では解決できない複雑な問題だった。

一方で、商業的な成功は音楽家としての生活を支え、より多くの人々に音楽を届ける機会を提供する。メタリカの成功は、メタルバンドでも十分に商業的な成功を収められることを示し、多くの後続バンドに希望を与えた。

他方で、過度な商業化は音楽の本質的な価値を損なう危険性も孕んでいる。ファンが求める「真正性」と市場が要求する「売れる要素」の間で、多くのバンドが苦悩することになった。

この問題に対する答えは一つではなかった。トゥールのように、商業的な成功を収めながらもアーティスティックな妥協を拒否するバンドもあれば、Nu-Metalバンドのように新しい音楽性で既存の枠組みを突破するバンドもあった。

重要なのは、この葛藤自体がメタルシーンの創造性を刺激したということである。安定した成功に甘んじることなく、常に新しい挑戦を続ける姿勢こそが、メタルが「死なない」理由だったのかもしれない。

結論:試練を糧とした進化

「メタルは死んだ」と言われた1990年代は、実際にはメタルの多様性と適応力を証明する時代となった。グランジブームという外圧に直面したメタルシーンは、自己変革を通じて新たな活力を見出した。

メタリカの商業化論争、オルタナティブメタルの台頭、Nu-Metalの革新、インダストリアルメタルの実験——これらすべてが、メタルというジャンルの豊かさを物語っている。重要なのは、どれかひとつが「正しい」メタルではなく、すべてがメタルの可能性を拡張する貴重な試みだったということである。

1990年代の試練は、メタルシーンに重要な教訓をもたらした。真の強さとは、変化を拒絶することではなく、変化に適応しながらも本質を失わないことにある。この時代を生き抜いたバンドたちは、後の世代に計り知れない影響を与え、メタルの歴史に新たな章を刻んだのである。

商業の嵐が過ぎ去った後、メタルシーンには以前よりもはるかに豊かで多様な音楽的地平が広がっていた。それは、真の芸術が困難な時代にこそその真価を発揮することを示す、美しい証拠でもあったのである。

Jiro Soundwave:ジャンルレス化が進む現代音楽シーンにあえて一石を投じる、異端の音楽ライター。ジャンルという「物差し」を手に、音の輪郭を描き直すことを信条とする。90年代レイヴと民族音楽に深い愛着を持ち、月に一度の中古レコード店巡礼を欠かさない。励ましのお便りは、どうぞ郵便で編集部まで──音と言葉をめぐる往復書簡を、今日も心待ちにしている。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

  • URLをコピーしました!