
1970年代後半のイギリスは、まさに絶望の時代であった。失業率は急上昇し、労働争議が頻発し、若者たちには未来への希望が見えなかった。パンクロックが「ノー・フューチャー」を叫ぶ中、もう一つの反逆の音楽が静かに、しかし確実に産声を上げていた。それが後に「New Wave of British Heavy Metal(NWOBHM)」と呼ばれる現象である。
鋼鉄の新世代が咆哮を上げた
1975年、バーミンガムの小さなパブで一人の青年が革命的な演奏を繰り広げていた。その名はロブ・ハルフォード。彼が率いるジューダス・プリーストは、従来のハードロックとは一線を画する新しいサウンドを模索していた。ブラック・サバスが切り開いた道をさらに先鋭化させ、よりスピーディで、より攻撃的で、より純粋なメタルサウンドを追求していたのである。
同じ頃、ロンドンの東端では、レミー・キルミスターがモーターヘッドを結成していた。彼はかつてスペースロックバンド、ホークウィンドのベーシストであったが、薬物所持で解雇された後、「世界一うるさいロックンロールバンド」を作ると宣言した。その言葉通り、モーターヘッドの音楽は既存のジャンルの枠を完全に破壊し、パンクとメタルの境界線を曖昧にする革新的なものであった。
しかし、この時代の真の象徴となったのは、1975年にロンドンで結成されたアイアン・メイデンである。スティーブ・ハリスという名のベーシストが率いるこのバンドは、複雑なベースライン、ツイン・ギターの絡み合い、そして文学的な歌詞で、メタルというジャンルに新たな知性を注入した。彼らの楽曲は単なる騒音ではなく、歴史や文学からインスピレーションを得た壮大な物語であった。
革ジャンとスタッズが生んだ新たな美学
NWOBHMの台頭と共に、メタルファッションという独特の美学が確立された。その中心にいたのが、先述のロブ・ハルフォードである。彼は舞台上で革ジャンとスタッズを身に纏い、時にはバイクで登場するというパフォーマンスを繰り広げた。これは偶然の産物ではなかった。
ハルフォード自身が後に明かしたところによると、彼のファッションセンスはゲイカルチャーから大きな影響を受けていた。1970年代のイギリスでは、まだ同性愛に対する社会的偏見が強く、彼は自身のセクシュアリティを隠さざるを得なかった。しかし、革とスタッズという「男らしさ」の象徴を極端に誇張することで、逆説的に自分らしさを表現していたのである。
この革命的なファッションは瞬く間に若者たちの間で広まった。革ジャンにスタッズを打ち、長髪を風になびかせる姿は、単なる音楽ファンの装いを超えて、一つの生き方の象徴となった。彼らは「メタルヘッズ」と呼ばれ、社会の規範に対する静かな反逆者として認識されるようになった。
興味深いことに、この時代のメタルファッションは女性ファンにも大きな影響を与えた。従来の女性らしさを拒否し、革ジャンとデニムに身を包んだ女性たちが現れ始めた。これは後のジェンダー平等運動の先駆けとも言える現象であった。
MTV革命がもたらした視覚的衝撃
1981年8月1日、音楽業界に革命が起こった。MTV(Music Television)の放送開始である。「Video Killed the Radio Star」というバグルスの楽曲と共に始まったこの新しいメディアは、音楽の楽しみ方を根本的に変えた。
メタルバンドたちは、この新しいメディアの可能性を誰よりも早く理解した。アイアン・メイデンの「Run to the Hills」、ジューダス・プリーストの「Breaking the Law」、そしてモーターヘッドの「Ace of Spades」といった楽曲のミュージックビデオは、単なる演奏映像を超えた映画的なクオリティを持っていた。
特に印象的だったのは、アイアン・メイデンのマスコット「エディ」の存在である。このゾンビのようなキャラクターは、アルバムジャケットからミュージックビデオ、そしてライブステージまで、バンドのあらゆる場面に登場した。エディは単なるイラストを超えて、バンドの一員として、そしてメタルカルチャーのアイコンとして君臨した。
MTV時代の到来により、メタルバンドのヴィジュアルイメージはこれまで以上に重要になった。長髪、革ジャン、スタッズといったファッションは、もはや単なる趣味の問題ではなく、音楽的アイデンティティの根幹を成すものとなった。
大西洋を渡った鋼鉄の波
NWOBHMの影響は、やがて大西洋を越えてアメリカに到達した。1980年代初頭、アメリカの若者たちはイギリスから届いた新しい音楽に魅了された。特に影響を受けたのは、カリフォルニアのベイエリアとロサンゼルスの若者たちであった。
サンフランシスコでは、後にスラッシュメタルの帝王となるメタリカが1981年に結成された。彼らの初期の楽曲には、明らかにNWOBHMの影響が見て取れる。特にアイアン・メイデンとダイアモンド・ヘッドからの影響は顕著で、彼らは後年、ダイアモンド・ヘッドの楽曲をカバーアルバムでも取り上げている。
一方、ロサンゼルスでは、より商業的で華やかなメタルシーンが形成されつつあった。モトリー・クルー、ラット、そしてクワイエット・ライオットといったバンドが登場し、後に「ヘアメタル」や「グラムメタル」と呼ばれるジャンルの礎を築いた。
不良文化としての烙印と社会的反発
しかし、メタルの普及と共に、社会的な反発も激しくなった。宗教団体はメタルを「悪魔の音楽」として糾弾し、教育関係者は「若者を堕落させる音楽」として警戒した。特に問題視されたのは、バンドのヴィジュアルイメージと歌詞の内容であった。
アイアン・メイデンの「Number of the Beast」は、その題名だけで多くの論争を呼んだ。実際には聖書を題材にした楽曲であったにも関わらず、宗教的保守派からは激しい批判を浴びた。同様に、ジューダス・プリーストの楽曲には自殺を促すメッセージが込められているという、根拠のない告発まで行われた。
これらの社会的反発は、皮肉にもメタルファンの結束を強める結果となった。「大人たちが嫌がるものこそ、我々の音楽だ」という反骨精神が、メタルコミュニティの核となった。メタルヘッズは単なる音楽ファンではなく、社会に対する異議申し立てを行う文化的反逆者として自己を定義するようになった。
鉄の掟が示した未来への道筋
1985年までに、NWOBHMは世界的な現象となっていた。アイアン・メイデン、ジューダス・プリースト、モーターヘッドといったバンドは、もはやイギリスのローカルバンドではなく、国際的なロックスターとなっていた。彼らが確立したメタルの美学、サウンド、そしてファッションは、その後のメタルシーンの基盤となった。
この時代に確立された「鉄の掟」は明確であった。音楽は妥協しない、ファッションは自己表現の手段である、そして真のメタルヘッズは社会の規範に屈しない。これらの価値観は、その後40年以上にわたってメタルコミュニティの中核を成し続けている。
NWOBHMが残した最大の遺産は、メタルを単なる音楽ジャンルから、一つの生き方、一つの哲学へと昇華させたことである。革ジャンとスタッズは単なるファッションではなく、自由と反逆の象徴となった。そして、その精神は今日まで、世界中のメタルヘッズの心に脈々と受け継がれているのである。

Jiro Soundwave:ジャンルレス化が進む現代音楽シーンにあえて一石を投じる、異端の音楽ライター。ジャンルという「物差し」を手に、音の輪郭を描き直すことを信条とする。90年代レイヴと民族音楽に深い愛着を持ち、月に一度の中古レコード店巡礼を欠かさない。励ましのお便りは、どうぞ郵便で編集部まで──音と言葉をめぐる往復書簡を、今日も心待ちにしている。