
イリノイ州の少年時代
1926年、イリノイ州オールトン。マイルス・デイヴィスは、裕福な黒人家庭に生まれ育った。彼の父は歯科医、母はピアノ教師という家庭環境で、音楽に親しみながらも、決して「貧困」や「不遇」に悩まされることなく成長した。だが、彼が育った社会には確かに“分断”があった。黒人社会と白人社会、富裕層と貧困層、音楽界の既成概念と革新 ── すべての“矛盾”が、彼を前進させるエネルギーとなる。
マイルスが初めて楽器を手にしたのは、彼が13歳のとき。バイオリンやピアノに触れるも、最終的に選んだのはトランペットだった。この楽器に魅了されたのは、単に音の魅力だけではない。トランペットの音には、彼自身の内なる“反骨心”と同じような力強さ、そして疾走感があったからだ。
チャーリー・パーカーとの邂逅
マイルスが16歳のとき、音楽の世界に新たな革命が起きようとしていた。その名は「ビバップ」 ── すでにチャーリー・パーカー(パーカーは当時、まだ「ビバップ」の先駆者として確立された存在ではなかったが)によって広められた新しいジャズの形態だ。ビバップは、それまでのスウィングジャズとは全く異なり、自由な即興演奏、複雑なコード進行、速いテンポを特徴としていた。
マイルスが初めてパーカーの演奏に触れたとき、その音楽は彼にとって“衝撃”そのものであったに違いない。特に、パーカーのトランペットとサックスの相互作用には、言葉では表現しきれないほどの深い情熱が込められていた。その瞬間、マイルスは「これが音楽だ」と感じ、彼の心に燦然と光る目標が定まった。
だが、パーカーの音楽はただの模倣を許さなかった。ビバップは、新しい“音楽の言葉”を発するものであり、既存の枠に収まることを許さない。マイルスはその制約を、自らのエネルギーとして受け入れた。
ビバップの先駆者として
18歳、マイルスはニューヨークへと向かった。彼の選んだ道は、ビバップの最前線である。ニューヨークのモーニング・ジャズ・クラブ、そして有名なアポロ・シアターのステージには、既にパーカー、ディジー・ガレスピーといったジャズの巨星たちが集まり、毎夜のように歴史的なセッションが繰り広げられていた。マイルスもその輪に加わり、間もなく自らのスタイルを築き始める。
ビバップの音楽は、すべての楽器が個々に強い個性を持ちながらも、全体で調和する形を取る。その中でも特にトランペットは、他の楽器に引けを取らない強烈な響きを持つ必要があった。マイルスのトランペットには、速さや技巧だけではなく、音の“深さ”と“色”があった。彼の演奏には、パーカーのようなスリリングなフレーズと、ガレスピーのような壮大なアプローチが融合していたと言える。
この時期のマイルスは多くの有名ジャズメンと共演し、徐々にその存在感を示していった。音楽的には、ビバップの旋風を巻き起こしながらも、どこかで「従順」でない一線を引いていた。彼は決して「既存のビバップを踏襲する」ことを選ばなかったのである。その後のマイルスを特徴づける、“自由”と“独自性”を守ろうとする姿勢が、この頃からすでに見え始めていた。
「Birth of the Cool」の誕生
マイルスが本格的に革新を遂げる転機となったのが、1949年から1950年にかけて制作されたアルバム『Birth of the Cool』である。彼は、このアルバムで新たな試みをいくつも打ち出し、ビバップの枠を超える新しいジャズの形態を模索した。
このアルバムにおける最大の特徴は、“クールジャズ”というスタイルが確立されたことだ。クールジャズは、ビバップの「疾走感」を抑え、より洗練された音の響きを追求した音楽であった。マイルスはこのスタイルで、今までのジャズとは一線を画す音楽を創り上げる。
この革新性が、後のジャズ界にどれほど大きな影響を与えたのか、計り知れない。マイルスは、“聴く者の耳を試す”音楽を提供し、ジャズに新たな価値を吹き込んだのである。
新たな道を切り開く
マイルス・デイヴィスの伝説が生まれたのは、ビバップの反抗者として登場し、時代を越える革新者へと成長したからだ。彼は常に、時代の流れと対話し、あらゆる規則を破りながら進化を続けた。1950年代初頭の“クールジャズ”から、後に「モード・ジャズ」、「フリー・ジャズ」、「ファンク」、「ヒップホップ」とその音楽の方向性を大胆に変えていくことになるが、その基盤となるのは、まさにこの時期の彼の反骨精神だった。
彼の音楽における革新は、決して「流行を追う」という形ではなかった。マイルス・デイヴィスが目指したのは、常に「新しい音楽を創り出す」こと。その熱い情熱と、音楽そのものに対する鋭い直感は、時代を超えて今なおリスナーの心に強く響き続けている。
マイルス・デイヴィスの人生と音楽は、常に“反骨”と“革新”に満ちていた。彼の音楽的冒険は、まだ終わらない。

Jiro Soundwave:ジャンルレス化が進む現代音楽シーンにあえて一石を投じる、異端の音楽ライター。ジャンルという「物差し」を手に、音の輪郭を描き直すことを信条とする。90年代レイヴと民族音楽に深い愛着を持ち、月に一度の中古レコード店巡礼を欠かさない。励ましのお便りは、どうぞ郵便で編集部まで──音と言葉をめぐる往復書簡を、今日も心待ちにしている。








