
チューニングを下げるという行為、すなわち「ダウンチューニング」は、今やヘヴィメタルやドゥームメタル、グランジ、ニューメタルなどのジャンルにおいて不可欠な手法となっている。だが、そもそもこの「ダウンチューニング」とは誰が最初に始めたのだろうか。言い出しっぺを特定することは難しいが、音楽史を振り返れば、その潮流の変遷を辿ることはできる。本稿では、ダウンチューニングの誕生から今日の多様化までを概観し、その背景にある音楽的・身体的・文化的理由に迫っていきたい。
ブルースに息づく原初の「ダウン」
ダウンチューニングの源流は、20世紀初頭のデルタ・ブルースに遡る。録音史の初期に登場したブルースマンたち──たとえばロバート・ジョンソン、ブラインド・レモン・ジェファーソン、チャーリー・パットンらは、ギターのチューニングを自由に変えることが多かった。オープン・チューニング(オープンDやオープンG)やドロップDなどは、スライドギターやボトルネック奏法において効果的だっただけでなく、自身の声のキーに合わせるためという理由でも重宝された。
重要なのは、この時代の演奏家たちはチューニングの正確さよりも「感覚」を重視していたことである。ピッチはあくまで相対的であり、演奏者と楽器、そして歌のあいだに生まれる相互作用こそが音楽の核心だった。つまり、「チューニングを下げる」ことが目的というより、目的達成のために自然とそうしていたという感覚である。
ジミ・ヘンドリックスと「半音下げ」の革命
ロック史においてダウンチューニングが大きな意味を持ち始めたのは、1960年代後半のジミ・ヘンドリックスの登場によるものである。彼はしばしばレギュラーチューニングから半音下げ(Eb)で演奏していた。これは高音弦のテンションを緩めてチョーキングしやすくするためでもあり、また歌唱のキーに合わせたとも言われている。
半音下げによって得られる音色は、通常のEよりもわずかにダークで、豊かな倍音を持ち、ヘンドリックスのプレイスタイルやサイケデリックなサウンドメイクに深みを与えた。ここにおいて「ダウンチューニング」は、技術的な便宜以上に、音楽的な表現手段としての意義を持ちはじめたのである。
トニー・アイオミとヘヴィメタルの「重力」
次なる重要な転機は、1970年代初頭のブラック・サバスによってもたらされた。ギタリストのトニー・アイオミは、労働事故によって指を部分的に切断し、義指をつけて演奏を続けるために、ギターの弦のテンションを下げる必要に迫られた。彼は最初、半音下げから始め、やがて1音以上のダウンチューニングも導入するようになる。
これが思いがけず、鈍く重たいリフというヘヴィメタルの美学を形づくる一因となった。ダウンチューニングによって低音域に重心が置かれ、ドラムのキックやベースと一体化したリズムが作られる。その響きはまるで地を這うようであり、後のスラッジ、ドゥーム、ストーナーロックといったサブジャンルにも多大な影響を与えることになる。
1980年代、スラッシュとデスの速度戦
1980年代に入ると、メタリカやスレイヤーといったスラッシュメタル勢が登場し、高速でアグレッシブなサウンドが主流となった。彼らは基本的にはレギュラーチューニング(E)を使用していたが、同時期に興ったデスメタルやドゥームメタルの界隈では、CやB、時にはAにまで落としたチューニングが使われるようになる。
特にフロリダのモービッド・エンジェルやスウェーデンのエントゥームドなどは、ダウンチューニングによる轟音とブラストビートを武器に、極端な音楽世界を構築した。ここにおいてダウンチューニングは、過激さを象徴するスタイルとなり、サウンドの暴力性を視覚化する役割をも担いはじめた。
1990年代──「ダウン」は新たなスタンダードへ
1990年代に突入すると、グランジとニューメタルの潮流が、ダウンチューニングをより広い音楽シーンへと拡張する。ニルヴァーナやサウンドガーデンといったグランジ勢は、ヘヴィメタルからの影響を吸収しつつ、ドロップDや1音下げなどを多用した。その結果、ローで不安定な響きが、時代の鬱屈したムードと共鳴した。
一方、コーンやデフトーンズ、スリップノットといったニューメタルのバンドは、7弦ギターや極端なドロップチューニング(Drop AやDrop G)を導入し、低音を美学化する方向へと進んだ。ここでダウンチューニングは、単なる技術的手法ではなく、ジャンルアイデンティティそのものとなったのである。
ダウンチューニングはどこへ向かうのか?
現在では、ジャンルを問わずダウンチューニングは一般的な表現手段として受け入れられている。エモ、ポストロック、Djent、さらにはJ-POPやK-POPの現場でも、より深く広い音像を得るためにチューニングを下げるケースが見られるようになった。デジタル制作の普及と共に、ピッチシフターやソフトウェアで簡単に「重く、低く」できる時代ではあるが、それでも実際にチューニングを下げて物理的な共振を生むことの魅力は根強い。
これは逆説的ではあるが、人間の身体感覚と直結しているという点において、ダウンチューニングは極めてプリミティブな表現とも言える。低音は腹に響き、空気を揺らし、感情の奥底を震わせる。チューニングを下げるという行為は、単なる「キーの変更」ではなく、世界の重力を意図的に変えることに他ならない。
結語:誰が言い出しっぺか、という問いの向こうに
「ダウンチューニングの言い出しっぺは誰か?」という問いには、明確な答えは存在しない。なぜなら、それは特定の人物が意図して発明したものではなく、音楽という大きな流れの中で、時代と環境、肉体と技術の交差点において自然に生まれ、変化していった手法だからである。
ロバート・ジョンソンが自然に下げた弦の音色、ジミ・ヘンドリックスが選んだ半音下げのブルース感覚、トニー・アイオミが生み出した重さの芸術、コーンが描いた低音の風景。それぞれがその時代に必要だったからこそ選んだチューニングであり、それが結果として「ダウンチューニング」という一つの文脈を形成したのである。
音楽における「重さ」は、決してただの音域の問題ではない。それは、時代の気分や身体の感覚、表現したい衝動の密度そのものだ。ダウンチューニングとは、そうした音楽の重心の変化を視覚化する鏡なのかもしれない。

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。