
アシッドジャズは1990年代前半に一つの頂点を迎えた。クラブを基盤とする地下文化でありながらも、ポップチャートに食い込む存在感を獲得し、レーベル、アーティスト、DJ、クラウド(観客)が一体となって豊穣な時代を築いたのである。だが音楽史とは常に動的なものであり、成功の影には必ず変化の兆しが潜んでいる。1990年代後半から2000年代にかけて、アシッドジャズはその定義を保ったままではいられなくなる。ここからは、“アシッドジャズ以後”の時代とも呼ぶべき展開を見ていくことになる。
アシッドジャズの定義の揺らぎ
1990年代後半、アシッドジャズという言葉は、かつてほど鮮烈ではなくなっていた。新たなスタイルが登場する中で、「アシッドジャズ」と銘打たれた音楽の輪郭はぼやけ、時に“おしゃれなBGM”や“ロンドン産のファンキー・ミュージック”といった曖昧な記号に置き換えられてしまったのである。
その要因の一つは、リスナーの耳がより洗練され、ジャンルのミクスチャーを前提とした聴取方法が一般化していったことである。ジャズ、ソウル、ヒップホップ、エレクトロニカ、ラウンジ、ダウンテンポ……それらを単一の言葉で括ることは、もはや難しくなっていた。
United Future Organization(U.F.O.) の活動は、その象徴といえる。彼らは1990年代を通じて、ジャズ的要素とサンプリング感覚を融合させた革新的な音楽を提示したが、1999年の『Bon Voyage』では明確に「アシッドジャズ」という範疇を超え、トリップホップやブロークンビーツの要素までも内包していた。こうした越境は、アーティストたちが音楽の自由を求めて進化した結果であり、それ自体は肯定されるべきものであるが、「ジャンル」としてのアシッドジャズの立ち位置はますます不明瞭になっていった。
トリップホップとアシッドジャズの交錯
アシッドジャズの変容を語るうえで、1990年代後半に登場したトリップホップとの関係を避けて通ることはできない。マッシヴ・アタック、ポーティスヘッド、トリッキーらによって生み出されたこのジャンルは、スモーキーでメランコリックなグルーヴと、ヒップホップのビート感、ジャズ的コード進行、さらにはソウルフルな歌唱を融合させたものであり、その多くはアシッドジャズの土壌から生まれたともいえる。
とりわけマッシヴ・アタックの『Blue Lines』(1991)やポーティスヘッドの『Dummy』(1994)は、従来のジャズやソウルの感触を持ちながらも、都市の孤独や倦怠を音に封じ込めた。このような感覚は、ガリアーノやヤング・ディサイプルズに見られた「陽のグルーヴ」とは異なり、「陰のグルーヴ」への志向を示していた。つまりここには、アシッドジャズが内包していた二面性 ── 歓喜と内省、身体性と精神性 ── が分岐した結果が現れているのである。
ブロークンビーツと新たなグルーヴ解釈
1990年代末から2000年代にかけて、アシッドジャズはさらに分化・進化していく。とりわけ注目されたのが、ブロークンビーツと呼ばれるスタイルである。このジャンルは、アシッドジャズの影響を受けたアーティストたちが、より複雑なリズムと未来志向のサウンドデザインを模索する中で生まれた。
中心人物はバグズ・イン・ジ・アティックや4ヒーロー、そしてIGカルチャーである。彼らはジャズ、ファンク、ヒップホップに加え、テクノやドラムンベースの要素を取り込みながら、型にはまらない変則的なビートと、知的で洗練された音響美を追求した。その結果、アシッドジャズが持っていた「踊れるジャズ」という骨格は残しつつも、よりエッジの効いたアンダーグラウンドな美学へとシフトしていったのである。
このムーブメントにおいて重要なのは、「ジャズという形式そのものを更新しよう」という意志であった。もはや過去の遺産を参照するのではなく、ジャズを“感覚”として再構築する ── それが2000年代のポスト・アシッドジャズ世代の特徴である。
日本における発展と定着
この時期、日本においてもアシッドジャズ的なサウンドは独自の発展を遂げていた。Kyoto Jazz Massive による一連のリリースは、ジャズとエレクトロニクスを融合させた“クラブ志向の知性派サウンド”として、国際的な評価を受けた。彼らの2002年作『Spirit of the Sun』では、ラテン、アフロ、ハウスといった多様な要素が絶妙にブレンドされており、まさに“ジャンルなきジャズ”の完成形とも言える。
また、Jazztronik(野崎良太) の台頭も見逃せない。彼のプロジェクトは、アシッドジャズからの影響を受けつつも、ピアノジャズやハウス、オーケストレーションといった多彩な音楽性を横断し、2000年代の新しいクラブ・ミュージック像を提示した。こうした動きによって、日本においてアシッドジャズは一時的な流行ではなく、クラブ・カルチャーに根ざした表現形式として確固たる地位を築くこととなった。
再評価とアーカイヴの時代へ
2000年代後半になると、アシッドジャズは再び注目されるようになる。ただしそれは、新たな革新というよりも、過去へのリスペクトと再評価の文脈からである。レコード収集家やDJ、音楽愛好家の間で、1980~90年代のアシッドジャズ作品が“発掘”され、リイシューや再編集盤のリリースが相次いだ。
この流れを支えたのが、BGP Records や Expansion Records のような再発レーベルであり、YouTubeやBandcampといったデジタルプラットフォームでも、アシッドジャズが“デジタルクレートディギング”の対象として再発見されるようになった。
さらには、アシッドジャズ黎明期を支えたDJたち ── ジャイルス・ピーターソン、パトリック・フォージ、ノーマン・ジェイらが、再び精力的にミックスやアーカイヴ配信を行い、若い世代へと橋をかけていった。ここには単なる懐古趣味ではなく、「時代を超えるグルーヴ」の再確認という、根源的な音楽的欲望がある。
結語:溶解と拡張のアシッドジャズ
こうして見てくると、1990年代後半から2000年代にかけてのアシッドジャズは、“ジャンルとしての死”ではなく、“音楽的DNAとしての拡張”を遂げたことが分かる。明確なラベルは失われたかもしれないが、その精神は細胞分裂のように他ジャンルへと受け継がれていったのである。
次回は、アシッドジャズが再び注目を浴びるようになる2010年代以降の動向 ── UKジャズの再興、ストリーミング世代による再発見、そして新たな世代のアプローチについて掘り下げていく。

Jiro Soundwave:ジャンルレス化が進む現代音楽シーンにあえて一石を投じる、異端の音楽ライター。ジャンルという「物差し」を手に、音の輪郭を描き直すことを信条とする。90年代レイヴと民族音楽に深い愛着を持ち、月に一度の中古レコード店巡礼を欠かさない。励ましのお便りは、どうぞ郵便で編集部まで──音と言葉をめぐる往復書簡を、今日も心待ちにしている。