
音楽ジャンルとしての「ファンク(Funk)」や「ファンキー(Funky)」という言葉を、われわれは今日、当たり前のように使っている。しかし、そもそもこの“臭そうな”言葉は、いったい誰が言い始めたのだろうか。少なくとも、白いスーツに身を包んだクラシック作曲家が譜面に書いたわけではない。
「Funky」は臭かった?
「funk」という言葉の起源は、17世紀の英語にさかのぼる。当初の意味は「悪臭」「体臭」。つまり「funky」は「臭い」のである。ところがこの言葉は、20世紀に入りアメリカ黒人文化圏の中で、ある種の褒め言葉へと変容していく。スラングとしての「funky」は、身体的で、官能的で、リアルで、土臭いものを指すようになる。音楽においては、計算ずくではなく、魂の底からにじみ出るようなグルーヴ感。それが「ファンキー」と呼ばれた。
ホレス・シルヴァーと「ファンキー・ジャズ」
音楽用語としての「ファンキー」が最初に顕在化したのは、1950年代のジャズ・シーンであった。その代表格がホレス・シルヴァーである。ビバップ全盛の時代、彼はよりブルースやゴスペルの感覚を前面に出したジャズを提示し、「ファンキー・ジャズ」とも称された。
1952年の録音「Opus de Funk」は、タイトルからして象徴的である。複雑なアドリブよりも、リズムとソウルに重きを置いた演奏は、従来のクールなジャズとは一線を画していた。続く「The Preacher」「Song for My Father」などの名演も、洗練されつつもどこか泥くさい、その「ファンキー」さに満ちている。
こうして「ファンキー」という形容詞は、単なるスラングを超え、音楽のスタイルを指し示す言葉として定着していった。
「Make It Funky!」── ジェームズ・ブラウンの宣言
そして、決定的なブレイクスルーをもたらしたのが、ジェームズ・ブラウンである。彼の1965年のヒット曲「Papa’s Got a Brand New Bag」は、ソウルとリズム・アンド・ブルースの要素を極限まで研ぎ澄ませ、「ファンク」という新たな音楽スタイルを打ち立てた金字塔である。
以降のブラウンは、ライブやレコーディング中にしばしば「Make it funky!(もっとファンキーに!)」と叫んだ。これは単なる掛け声ではなく、演奏者にグルーヴを引き出させるための命令であり、同時にファンク・ミュージックというジャンルの旗印でもあった。
1971年の「Make It Funky」は、その象徴とも言える一曲である。ドラムのキックとスネア、ベースライン、ホーン・リフが一体となって生み出す反復の快楽。言葉よりも身体で感じるグルーヴの連鎖こそが、ファンクの本質であった。
ファンクという名の逆襲
ここで興味深いのは、「ファンキー」がポジティブな意味を帯びる過程そのものが、アフリカ系アメリカ人による文化的逆転の試みであったという点である。「臭い」とされた言葉を、「かっこいい」「グルーヴィー」と言い換える。この言語的転倒には、社会に抑圧されてきた人々が、自らの価値観で新たな美を定義しようとする力が働いている。
実際、1970年代のファンクは、ブラック・プライドや公民権運動の文脈と重なり合っていた。スライ&ザ・ファミリー・ストーンの「Thank You (Falettinme Be Mice Elf Agin)」や、パーラメントの「Give Up the Funk」に見られるように、「ファンクであること」は誇りであり、自己表現であり、抵抗の手段でもあった。
「ファンキー」は誰のものか?
結局のところ、「誰が最初に言い始めたのか」という問いに対して明確な一人を特定するのは難しい。しかしながら、ジャズのホレス・シルヴァーが「funky jazz」という表現を音楽的に確立し、ソウル/ファンクのジェームズ・ブラウンが「Make it funky!」と叫ぶことで、その言葉をジャンル名・文化的概念へと高めたことは疑いようがない。
そして現代においても、「ファンキー」はただのノスタルジーではなく、生きた言葉である。ヒップホップ、ディスコ、ハウス、あるいはアフロビーツのリズムの中に、そのスピリットは今なお息づいている。
ファンキーとは、音楽が生身の身体を揺らす瞬間に宿る“匂い”なのである。
※本コラムは筆者の見解であり、諸説あります

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。