[連載]火を奏でた男──ジミ・ヘンドリックス、音楽という革命 第1回:黒人少年、ジミ──シアトルの影とブルースの光

ギターを歯で弾いた男、と語られるにはあまりにも深い。わずか4年、3枚のアルバムで世界を変え、27歳で燃え尽きたジミ・ヘンドリックス。だが彼の音は、今もなお更新され続けている“問い”であり、“革命”そのものだ。ロンドンでのデビューから、ウッドストックでの神話化、そして“火の鳥”のように燃え上がった最期まで──本コラムでは、ジミの音楽と生涯を6つの視点から追いながら、彼が現代に問いかける「自由とは何か」「音楽とは何か」に耳をすます。

ジミ・ヘンドリックスが“神”になったのは、もちろんステージの上だった。歪んだギター、激しく体をのけぞらせて鳴らすフィードバック、燃え上がる楽器。けれどその裏には、ギターを抱く以前から彼の中に宿っていた音楽への渇望と、黒人少年としての孤独がある。まずはそこから始めよう。

シアトルという場所と、少年の名前

1942年11月27日、彼はアメリカ・ワシントン州シアトルで生まれた。本名はジョニー・アレン・ヘンドリックス。後に父の希望で「ジェームス・マーシャル・ヘンドリックス」と改名される。

第二次世界大戦のさなか、家庭はすでに崩壊の兆しを見せていた。父アル・ヘンドリックスは戦地にいたため、ジミは母ルシールに育てられるが、母はアルコール依存や家庭問題に苦しんでおり、生活は不安定だった。貧しさと親の不在に囲まれ、幼いジミは落ち着きのない子供だったと記録されている。

しかし、彼の耳は早くから“音”に敏感だった。テレビから流れるブルースやロカビリー、ラジオのR&B番組、果ては通りを行き交う車のエンジン音にすらリズムを見出していたという。

ギターとの出会い ── 壊れた楽器の再生

13歳のとき、彼は廃品置き場で壊れたウクレレを拾った。弦は1本しか残っていなかったが、ジミはそれで曲を真似て弾こうとした。1年後、父がたった5ドルで買ってきたボロボロのアコースティック・ギターが、彼にとって最初の「楽器」になる。

この時期に彼が熱中した音楽は、マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフといった黒人ブルースマンのサウンドだった。特にマディ・ウォーターズの「Rollin’ Stone(Catfish Blues)」は、後年のサイケデリックなジミのプレイの根底にある“原始の泥”とも言える。

15歳になるとエレキギターを手に入れ、チャック・ベリーやリトル・リチャードのコピーに明け暮れる日々が始まる。彼のスタイルはここで磨かれた。片耳でR&Bを聴き、もう片耳でロックンロールを吸収しながら、左利きの自分に合うよう右利き用のギターを逆さにして弾くという、後に“逆さまの神”と呼ばれる所以がこの時点で完成していたのだ。

黒人としてのジミ、音楽への逃避

ジミの高校時代、アメリカでは未だ黒人差別が色濃く残っていた。ワシントン州は南部ほどの暴力的な人種主義ではなかったが、貧困層の黒人にとって教育や就職の機会は限られていた。

ジミは学校に馴染めず、成績も悪かった。けれど唯一、音楽だけが彼にとっての“逃げ場”だった。彼は地元バンドに加わり、白人中心のバーやダンスホールでギターをかき鳴らすようになる。

参考までに、彼がこの時期好んで演奏していたのはボ・ディドリー「Who Do You Love」やレイ・チャールズ「What’d I Say」など、黒人音楽の中でもリズムとグルーヴに特化した楽曲だった。初期の演奏録音(後に発掘される)からも、彼がテクニックより「ノリ」や「音のうねり」を大事にしていたことがわかる。

陸軍生活 ── パラシュート部隊と音楽の灯

1961年、ジミは窃盗容疑で逮捕される。刑務所か陸軍か。彼が選んだのは後者だった。彼は空挺部隊に配属され、ジャンプ訓練を受けるが、ここでも彼の関心は音楽に向かっていた。任務の合間にギターを弾き、歌い、仲間とセッションを繰り返した。

このとき出会ったのが、後に盟友となるビリー・コックスである。ビリーはベーシストとしてジミと抜群の相性を持ち、のちのバンド・オブ・ジプシーズ結成にも繋がっていく。

1年足らずでジミは軍を除隊する。理由は怪我という建前だったが(公式には足首の負傷による除隊)、実際は「兵士としての適性なし」と判断されたとも言われている。音楽しか眼中になかった若者にとって、戦争や命令は耐え難い枷だったのだろう。

ツアーミュージシャンとしての下積み時代

除隊後のジミは、全米南部を渡り歩きながらバッキングギタリストとしてのキャリアを積むようになる。

リトル・リチャードのバンドではそのアクロバティックなギタープレイが光るが、派手すぎるパフォーマンスが仇となり、すぐにクビになる。アイク・ターナー、キング・カーティスなど、そうそうたる面々とステージを共にしながら、彼は「誰かの後ろで弾く」ことに限界を感じはじめていた。

参考音源としては、1965年頃のセッション音源「Testify (with The Isley Brothers)」を聴くと良い。そこにはすでに後のジミに通じる、“爆発寸前の熱”が込められている。

そして、ジミ・ヘンドリックスが「ジミ・ヘンドリックス」になる前夜

この時期のジミは、実に多くの名前を使っていた。ジミ・ジェイムズ、モーリス・ジェイムズ……“ヘンドリックス”を名乗ることさえなかった。

だがこの沈黙の数年間が、後の爆発の「ため」の時間だったとも言える。音楽の神は、一度下積みに耐える者にしか微笑まないのだ。

1966年、彼はついに“自分のバンド”を持つべくニューヨークに向かい、チャス・チャンドラーと運命の出会いを果たす ── それは、次回以降の話としよう。

Jiro Soundwave:ジャンルレス化が進む現代音楽シーンにあえて一石を投じる、異端の音楽ライター。ジャンルという「物差し」を手に、音の輪郭を描き直すことを信条とする。90年代レイヴと民族音楽に深い愛着を持ち、月に一度の中古レコード店巡礼を欠かさない。励ましのお便りは、どうぞ郵便で編集部まで──音と言葉をめぐる往復書簡を、今日も心待ちにしている。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

  • URLをコピーしました!