[連載:リスナーの記憶装置]第5回:Spotifyと“ながら聴き”の快楽

音楽は、今やどこでも、いつでも手に入る時代に突入した。Spotifyがもたらした“サブスク”の波は、私たちの音楽との付き合い方をさらに自由にし、“ながら聴き”という新しい音楽体験を私たちにもたらした。車の中でも、仕事中でも、運転中でも──音楽はただの背景音ではなく、私たちの日常に寄り添い、流れ続ける新しい文化となった。

プレイリストが“音楽の入口”になった日

2010年代半ば ── 音楽の聴き方は、劇的に変わった。SpotifyやApple Musicの登場によって、「すでにそこにある音楽」へアクセスする時代が始まったのだ。

CDショップに行かなくてもいい。ダウンロードすらしなくていい。ただ検索し、タップするだけで、数千万曲がすぐに再生される。さらにアルゴリズムが「あなたにおすすめの曲」を自動で提示してくれる。気づけば人々は、曲を選ぶことをやめ、「流れてくる音楽」に耳を任せるようになっていった。

もはやアルバムというまとまりは過去のもの。“ジャンル”すら、ゆるやかに解体されていく。

“ながら聴き”と「生活のBGM化」

Spotifyがリスナーに与えた最大の影響は、音楽が“背景”になったことだ。

たとえば「Chill」「Morning Acoustic」「Work from Home」など、プレイリストの多くは“気分”や“場面”にひもづいた設計となっている。音楽は“主役”から“空気”へ ── 暮らしのためのサウンドデザインへと変わったのだ。

これはある意味、とても現代的で合理的な進化だ。
だが同時に、かつてあった“聴き入る”という行為、深く感情をゆさぶられる体験は後退し、「聴き流す快楽」が主流になる。

音楽は、没入ではなく、流し込むものへ。耳に心地よく、邪魔せず、邪魔されず。そんな音楽こそが“選ばれる音”になる。

「レコメンドされる自分」との付き合い方

Spotifyで日々更新される「Discover Weekly」や「Release Radar」。これはまさに、AIがリスナーの趣味を学習し、自動で曲を提案してくれる“パーソナルDJ”だ。

だがここで面白いのは、「何を聴くか」を自分で選ばなくなったことで、“選ぶ自分”との距離感が変わっていくということ。

たとえば、ある日表示された「あなたへのおすすめ」が、まったく好きじゃない曲ばかりだったとする。その瞬間、「Spotifyにそう見られている自分」とのギャップに違和感を覚える。逆に、まるで自分の好みを100%当ててくるようなレコメンドには、ちょっとした“監視されてる感”もある。

つまりSpotifyは、自分の「好み」や「アイデンティティ」との向き合い方を再定義させた存在でもあるのだ。

「無限の選択肢」は自由か、ストレスか?

ストリーミングサービスのライブラリは、実質「無限」である。だがそれは裏を返せば、どれを聴けばいいのかわからない“迷宮”でもある。

Spotifyで曲を選ぶとき、私たちはあまりにも多くの可能性にさらされている。好きなアーティストの新譜も、友達が送ってくれた曲も、アルゴリズムが提案してくる音楽も……。「後で聴こう」が永遠に積み上がっていく。

そして結果的に、「知ってる曲をもう一回聴く」安心感に戻る。音楽が無限に手に入る時代に、私たちは“いつもの場所”に回帰しがちなのだ。

音楽が“誰かのための設計”になるとき

Spotifyのなかには、“音楽の意図”が複数ある。たとえば、アーティストが伝えたいメッセージとしての音楽。一方で、リスナーの集中力を保つための環境音楽。さらには、アルゴリズムに乗るために設計された「30秒以内にサビが来る」ストリーミング向け楽曲も増えている。

音楽は今、「聴かれるための最適化」を迫られている。これが悪いとは言わない。だが、創作の自由と消費の論理がせめぎ合う場所になったのは事実だ。

このバランスのなかで、どこまで“聴き手のことを考えすぎない”勇気が持てるのか ──。それはSpotify時代のアーティストに課された新たな課題でもある。

“サブスク疲れ”の時代へ

便利すぎるがゆえに、最近では「音楽のサブスク疲れ」という声も聞かれる。いつでも聴ける。だけど、“いつか”聴こうと思って、聴かずに終わる。情報があふれすぎて、どこに耳を向ければいいかわからない。

そうしてリスナーは、また別の方法で音楽との向き合い方を探し始める。

“ながら聴き”が浸透しきったその先に、再び“深く聴く”ことへの欲望が生まれているのかもしれない。

Sera H.:時代を越える音楽案内人/都市と田舎、過去と未来、東洋と西洋。そのあわいにいることを好む音楽ライター。クラシック音楽を軸にしながら、フィールド録音やアーカイブ、ZINE制作など多様な文脈で活動を展開。書くときは、なるべく誰でもない存在になるよう心がけている。名義の“H”が何の頭文字かは、誰も知らない。

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