[連載:リスナーの記憶装置]第2回:鉛筆とリワインド──カセットと“編集”の文化

音楽は、時として「時間」を使って形を変える。カセットテープが登場した時代、音楽は録音という行為を通じて、再構築された。そして、それが生み出したのは、ただ聴く音楽の楽しみだけではなく、自分だけの編集・カスタマイズという新たな文化だった。その時代、カセットテープのリリース形態や、誰かと「音楽をシェアする」という行為がどれほど特別だったのか。私たちはその時代の中で、“音楽を所有する”という価値観を再定義した。

「録る」という能動的な音楽体験

1980年代の中高生の部屋には、必ずといっていいほどラジカセがあった。天面に搭載された大きなスピーカー、無骨なダブルカセットデッキ、そしてFMラジオ。いまやレトロ家電として懐かしがられる存在だが、当時の若者にとってそれは、自分だけの音楽世界をつくるための編集室だった。

CDやSpotify以前の時代。音楽はラジオで出会い、カセットテープに録音することで手に入れるものだった。深夜のFM番組で好きな曲がかかるのを、手を止め、息を止めて待ち構える。DJの語りがフェードアウトし、イントロが始まった瞬間、「録音ボタン+再生ボタン」を同時に押す。そして録音が終わると、テープに「アーティスト名/曲名」を書き込む。曲が増えるたびに手書きのタイトルが増え、世界にひとつだけの自分のアーカイブが出来上がっていく。

ここで重要なのは、カセットが単なる「再生機」ではなく、記録と編集のツールだったということだ。

“自分だけのプレイリスト”の原型

SpotifyやApple Musicでプレイリストを作る行為。実はその原型は、80~90年代の「マイ・ベストテープづくり」にある。

たとえば片面30分のテープに、好きな曲を順番に録音していく。曲順、曲間の無音の長さ、1曲目と2曲目のつながり、そして最後の曲で終わる“余韻”までを考える。つまりそれは、単なる録音ではなく、選曲+構成+編集=作品制作だったのだ。

音楽を“受け取る”だけでなく、“並べ替え、意味づけする”という能動性。カセットテープは、リスナーを一気にクリエイターへと引き上げたメディアだった。

この文化は後に「ミックステープ」という形で、ヒップホップやクラブカルチャーへと進化していく。だが原点は、ごく普通の家庭で生まれたパーソナルな編集文化にあったのだ。

失敗が“味”になる、アナログの醍醐味

もちろん、すべてが思い通りにいくわけではない。録音ボタンを押すタイミングが遅れてイントロが切れてしまったり、ラジオの雑音が混じったり。さらには兄弟が部屋に入ってきてノイズが入ってしまうこともあった。それでも、そのすべてが記憶の一部として刻まれるのが、カセットの魔力である。

完璧に編集されたプレイリストにはない、生活のにおい。それは、その人だけの時間と空間が封じ込まれた、記憶の断片だった。だからこそ、古いカセットを再生したときに蘇るのは音楽だけではない。録音当時の部屋の風景、空気の湿度、恋の始まりと終わり ── それらすべてが、「あの音」と共に戻ってくる。

デジタル音源では得がたい、“身体的な思い出”を宿すメディア。それがカセットだった。

パンク、ヒップホップ、DIY精神の拡張

カセットテープはまた、独立系カルチャーの土壌にもなった。1970年代後半のパンクムーブメントでは、カセットは「レコードが作れないバンドの武器」だった。バンドマンが自宅で録音した曲を、手作業でダビングしてライブ会場で配る。その行為そのものが、商業主義へのアンチテーゼとなった。

ヒップホップの世界では、ミックステープ文化が発展。DJが現場の録音をダビングして配布したり、ラッパーが未発表曲を詰め込んだ“非公式アルバム”をストリートで売ったりする。このDIY精神は、メジャーを通さない音楽流通の基盤を築いていった。

つまりカセットとは、発信手段を持たない者が、自らの声を形にできる最初のツールだったのだ。

失われた「巻き戻し」の感触

現代ではもはや、楽曲の“頭出し”に時間をかけることはない。スクロールして、タップして、一瞬で次の曲へ。しかし、かつては違った。鉛筆を差し込んでテープを手で巻く ── あの動作を、覚えている人はどれほどいるだろうか。

巻き戻しや早送りには数十秒~数分かかる。だからこそ、次に何を聴くかを、よく考えて決めた。選曲には迷いがあり、間違えたらやり直し。そして、ようやくたどり着いた一曲目を再生する、その小さな緊張感。今思えば、音楽と向き合う密度がまったく違っていた。

「すぐに手に入らない」ことが、音楽体験をかえって深くする──。そのことを、私たちはカセットから教わったのかもしれない。

令和のカセットブームと“記憶の再生装置”

いま、カセットテープは再び注目を集めている。アナログブームの中で、一部のインディペンデントレーベルやアーティストが、限定生産のカセットリリースを行っている。そこにはもちろん、音質の問題や利便性のデメリットもあるが、むしろその“手間”や“儀式”こそが価値とされている。

それはノスタルジーというよりも、「再び音楽を時間と共に味わいたい」という欲求の現れではないだろうか。巻き戻しの間に深呼吸をし、ジャケットを眺めながら音に浸る ── そんな時間が、再び求められている。

音楽が“背景”ではなく“対象”だった時代。カセットは、その象徴的なメディアだった。

“聴く”から“つくる”へ ── カセットが与えた視点の転換

最後にもう一度、カセットの持っていた本質を確認しよう。それは、ただの録音媒体ではない。自分だけの選曲、自分だけの編集、自分だけのパッケージング。つまり、音楽を「つくる」ことをリスナーに開いた最初の道具だった。

いま、YouTubeやSoundCloud、Bandcamp、TikTokなど、音楽の“つくり手”と“聴き手”が交差するプラットフォームが広がっている。それらの萌芽は、実はカセットの時代にあったのだ。

そしてそこには常に、手作業の温度と、“誰かに聴かせたい”という素朴な情熱があった。

Sera H.:時代を越える音楽案内人/都市と田舎、過去と未来、東洋と西洋。そのあわいにいることを好む音楽ライター。クラシック音楽を軸にしながら、フィールド録音やアーカイブ、ZINE制作など多様な文脈で活動を展開。書くときは、なるべく誰でもない存在になるよう心がけている。名義の“H”が何の頭文字かは、誰も知らない。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

  • URLをコピーしました!