
第78回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞、さらに第98回アカデミー賞ドイツ代表にも選出。世界の批評家を震わせた話題作『落下音』(英題:SOUND OF FALLING)が、4月3日より全国公開される。長編2作目にしてカンヌ初出品という鮮烈なデビューを飾ったのは、ドイツの新鋭監督マーシャ・シリンスキだ。
北ドイツの農場、四つの時代、四人の少女
物語の舞台は北ドイツの農場。1910年代、1940年代、1980年代、そして現代 ── 四つの時代を生きる四人の少女たちの〈不安〉が、百年の時を越えて反響し合う。
1910年代のアルマは、自分と同じ名を持ちながら幼くして死んだ少女の気配を感じ取る。1940年代、戦争の傷が残る時代に生きるエリカは、片脚を失った叔父への禁じられた欲望と、自らの内なる影に戸惑う。1980年代のアンゲリカは、常に肌にまとわりつく“何か”の視線に怯え、そして現代のレンカは、家族と移り住んだ土地で自分の存在が消えていくような孤独に蝕まれていく。
名もなき不安が、静かに、しかし確実に土地に染み込んでいく。これは怪奇譚であると同時に、記憶の堆積をめぐる映像叙事詩だ。
カメラは“もう一人の登場人物”になる
今回解禁された本編映像は、その異様な気配を象徴するシーンだ。四姉妹が使用人ベルタに仕掛けた悪戯。何も知らず戻ってきた彼女が靴を履いた瞬間、前のめりに倒れ込む。笑っていた少女たちの空気が凍りつき、末っ子アルマは立ち尽くす。
一見すれば、子どもたちの危険な遊びの一幕。しかし観客をざわつかせるのは、壁の隙間から覗く“視線”の存在だ。それは誰のものなのか。時間と視点がねじれる感覚のなかで、観る者は単なる傍観者ではいられなくなる。
シリンスキ監督は「記憶すること」「自分の行為を別の時間軸から見つめ直す感覚」を映像化しようとしたという。主観と客観が同一画面で交錯し、カメラそのものが身体の一部のように息づく。そのアプローチは、写真家フランチェスカ・ウッドマンの幻想的セルフポートレートから影響を受けている。透明に揺らぐ存在、手の届かなくなる記憶 ── その感触が、スクリーンの隅々にまで宿る。
“観る”では済まされない体験
カンヌ公式上映後、批評家たちはこの作品をテレンス・マリックやジェーン・カンピオン、ミヒャエル・ハネケ、デヴィッド・リンチといった巨匠たちの名と並べて語った。しかし同時に、そのいずれにも回収されない独自の映画言語を持つことを強調した。
「語られなかった人類のトラウマを掘り起こす」(IndieWire)
「ただ“観る”では済まない」(The Rolling Tape)
「記憶の迷宮を彷徨う映画体験」(The New Yorker)
それは物語を追う映画ではない。感覚そのものを揺さぶる体験だ。
名前を持たない〈不安〉に、あなたは触れる
『落下音』は、世界がまだ言葉を与えていない〈不安〉を可視化する試みだ。百年の時間を貫き、少女たちの視線が交差するその瞬間、観客自身の記憶もまた揺り起こされる。あなたは、その視線を受け止める準備があるだろうか。
『落下音』
4月3日、新宿ピカデリーほか全国ロードショー
監督・脚本:マーシャ・シリンスキ
出演:ハンナ・ヘクト、レア・ドリンダ、レーナ・ウルツェンドフスキー、レーニ・ガイゼラー
配給:NOROSHI ギャガ|英題:SOUND OF FALLING |2025年|ドイツ|カラー|ビスタ|5.1ch|155分|
字幕翻訳:吉川美奈子|PG-12|(C) Fabian Gamper – Studio Zentral
STORY 1910年代、アルマは同じ村で、自分と同じ名を持つ幼くして死んだ少女の気配に気づく。1940年代、戦争の傷跡が残る中、エリカは片脚を失った叔父への抑えきれない欲望に気づき、自らの得体のしれない影に戸惑う。1980年代、アンゲリカは常に肌にまとわりつく“何か”の視線に怯えていた。そして現代、家族と共に移り住んだレンカは、自分の存在が消えてしまいそうな孤独感に蝕まれていく。百年の時を経て響き合う彼女たちの<不安>が、この北ドイツの農場を静かに覆いつくしていく ──
