
人類が太鼓を叩くより前に、人類が歌うより前に、人類が「音楽」という言葉を知るより、はるか以前に ── この地球はすでに鳴っていた。
それは文明の音楽ではない。楽譜もない。作曲家もいない。しかし確かに存在した、生命そのものが奏でる音楽である。
本稿では、人類以前の世界に広がっていた“生物のオーケストラ”を妄想的に、しかし確信をもって描き出す。音楽の起源は人類史ではない。生命史である、という立場から。
まずは以下の楽曲を、耳を開くための鍵として挙げておく。
鳥はメロディを“作曲”している
動物の音楽史を語るなら、まず鳥を避けて通ることはできない。鳥のさえずりは、単なる鳴き声ではない。構造を持った旋律である。
特定の音程を反復し、装飾音を加え、フレーズを変奏し、時には即興する。しかも驚くべきことに、鳥は“学習”によって歌を変化させる。親の歌を真似し、周囲の音を取り込み、地域ごとに方言のような差異まで生まれる。
これは、文化である。楽曲が継承され、変化し、更新されていく。人類がやってきたことと、何が違うのか。
メシアンが鳥の歌を採譜し、楽曲へと昇華したのは偶然ではない。彼は作曲したのではなく、すでに存在していた音楽を人間の楽器に翻訳したにすぎない。
人類は長らく「自然を模倣して音楽を作った」と言ってきた。だが、より正確にはこう言うべきである。自然は、すでに音楽だった。
クジラは海に長編交響曲を流している
もし地球に「人類以前の作曲家」がいるとすれば、それはクジラである。
クジラの歌は、数分から数十分に及ぶ長大な構造を持ち、テーマがあり、展開があり、反復と変奏がある。そして何より驚異的なのは、その歌が年単位で進化するという事実だ。
ある年に歌われた旋律が、翌年には少し変わり、さらに次の年には別の要素が加わる。つまりクジラは、“未完成の楽曲”を世代を超えて更新しているのである。
これはもはや音楽史だ。しかも、その舞台は海全体。コンサートホールなど比べ物にならない。
低周波で鳴り響くクジラの歌は、数百キロ先まで届く。それは単なるコミュニケーションではない。海という空間を満たすサウンドスケープの構築である。
この作品が想起させるのは、人間がようやく“海の聴き方”に追いつこうとしている姿だ。
昆虫はリズムを支配している
もしメロディが鳥とクジラの専売特許だとすれば、リズムの王者は昆虫である。
セミ、コオロギ、バッタ。彼らは拍を刻み、テンポを維持し、集団で同期する。しかも驚くほど正確だ。メトロノームを内蔵しているとしか思えない。
セミの大合唱は、個体の鳴き声ではない。あれはポリリズムであり、集団即興である。ある種はユニゾンを形成し、ある種は位相をずらし、結果として巨大なリズムの渦を生み出す。
テクノやミニマルミュージックが到達した反復の快楽は、昆虫界では何百万年も前から実装済みだった。
この機械的リズムの奥に、昆虫的な正確さと狂気を聴き取ることは難しくない。
獣の唸りはベースである
哺乳類に目を向ければ、そこには低音の世界が広がっている。
ライオンの咆哮、オオカミの遠吠え、ゾウの低周波。これらは威嚇や連絡手段であると同時に、身体に直接作用する“圧”を持った音だ。
低音は意味を超える。考える前に、身体が反応する。それは恐怖であり、安心であり、支配であり、結束である。
人類がベースに魅了される理由は明白だ。我々は、獣の時代の音圧を、まだ忘れていない。
これは音楽というより、生物的振動への回帰である。
人類は動物音楽の“盗作”である
ここで、あえて過激な結論を提示したい。
人類は、音楽を創造したのではない。盗んだのである。
鳥からメロディを、昆虫からリズムを、獣から低音を、海から持続音を、風と森からアンビエンスを。
それらを組み合わせ、加工し、「文化」と名付けただけだ。
だが、盗作は悪ではない。それは継承であり、翻訳であり、進化である。
人類が行った最大の革新は、動物の音楽を意識化したことだ。「これは音楽である」と名指した瞬間、音は神話になり、芸術になり、歴史になった。
沈黙している動物など、一匹もいない
重要なのは、音を出さない生物でさえ、沈黙していないという事実だ。
植物は成長の際に微細な振動を生み、菌類は地下でリズムを共有し、微生物は周期的に増殖する。
生命とは、振動する存在である。
音楽とは、その振動を聴く姿勢のことであり、楽器とは、その振動を拡張する装置である。
人類は、自然界に遍在していた音楽を、可聴域に引きずり出したにすぎない。
人類以前のオーケストラは、いまも鳴り続けている
鳥は今日も歌い、クジラは今日も海を震わせ、昆虫は夜を刻み、獣は低音で世界を支配している。
我々がイヤホンを外し、都市のノイズを越えたとき、そこにはいまも人類以前のオーケストラが存在している。
音楽の起源は過去ではない。それは、常に現在進行形なのだ。
※本コラムは筆者の妄想です。

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。








