
音楽の世界には、誰もが当たり前のように使っている言葉がある。「グルーヴ」「ブルース」「トラップ」「チル」 ── それらの言葉は、いつから、どこで、誰が、言い出したのだろうか?
このシリーズでは、音楽にまつわるキーワードの“最初の一言”を辿る。ジャンルの命名者、スラングの発明者、あるいは評論家のメモ書きに残された曖昧な記録。音楽をかたちづくってきた、ささやかで決定的な「言葉の起源」を探る旅が、今はじまる。
「グルーヴ(GROOVE)」という言葉は、音楽において非常に頻繁に使われるにもかかわらず、その正体を一言で説明するのは難しい。耳で聴くよりも、身体で感じる言葉。理屈よりも実感に根ざしたこの単語は、いつから音楽の現場で重要なキーワードとして語られるようになったのだろうか。そして、誰がそれを言い出したのか ── この問いには、複数の時代とジャンルを横断する答えがある。
レコードの溝から生まれた言葉
grooveとはもともと、「溝」を意味する英単語である。音楽における最初期の使用例は、アナログ・レコードの物理的な溝、すなわちサウンドが刻まれた溝に由来する。音楽家が「in the groove」と言うとき、それは「溝にぴったりとはまったように演奏できている」状態を表す。1940年代のジャズ・ミュージシャンたちの間で、この言い回しはスラングとして流通しはじめた。
ジャズにおいてgrooveとは、単なるリズムの正確さではなく、アンサンブル全体が一つの流れに乗っているような、心地よい一体感を指す。演奏がスウィングしているとき、それはgrooveしている。ドラム、ベース、ピアノ、ホーンが互いに呼応し、聴き手の身体に自然な揺れを引き起こすとき、「これはグルーヴしている」という言葉がふさわしくなる。
ジャズからファンクへ、grooveの進化
grooveという概念が音楽的に大きな意味を持ち始めたのは、やはりジャズの黄金時代からである。例えば、アート・ブレイキーやホレス・シルヴァーといったハード・バップのミュージシャンたちは、単に複雑なアドリブを披露するのではなく、聴衆が踊れるような「ノリ」を重視した。リズム・セクションが強力なビートを繰り出し、フロントがその上を自由に泳ぐ――そこには明確なgrooveが存在していた。
やがてこの概念は、1960年代後半から70年代にかけてファンクやソウルの文脈でさらに深まっていく。ジェームス・ブラウンは、grooveを音楽の最小単位にまで解体し、「ワン(the one)」すなわち1拍目の重みを徹底的に強調した。ギター、ベース、ドラム、ホーン、すべてのパートがひとつのグリッドの中でミニマルに反復されることで、身体が抗えないうねりが生まれる。彼の名演「Funky Drummer」や「Sex Machine」は、まさにgrooveの教科書である。
この流れを受け継ぎ、スライ&ザ・ファミリー・ストーンやクール&ザ・ギャング、アース・ウィンド&ファイアーなどのバンドが、ファンクの中にジャズやロック、ゴスペルの要素を融合させた。それぞれのグルーヴは異なるニュアンスを持ちながらも、共通して「反復されるリズムの中に生まれる高揚感」という本質を共有している。
grooveを拡張したヒップホップ
grooveという言葉が新たな意味を持つようになったのは、1980年代以降のヒップホップ文化においてである。ヒップホップにおけるgrooveは、サンプリングという技術と密接に結びついている。DJプレミアやピート・ロック、J・ディラといったプロデューサーたちは、ジャズやファンク、ソウルのgrooveをサンプリングし、新たな文脈に組み替えることで、ビートの中に「過去の記憶」と「現在の身体性」を共存させた。
特にJ・ディラのビートは、grooveという概念の再定義とも言える。彼は意図的にドラムのタイミングをずらし、従来のメトロノーム的な「きっちりした」リズムから逸脱することで、人間味あふれる不均衡なgrooveを生み出した。これは後に「ディラ・ビート」と呼ばれ、現代のビートメイカーに多大な影響を与えている。
誰が言い出したのか、という問いのゆくえ
冒頭の問いに戻ろう。「groove」とは誰が言い出したのか? 確かに、あるミュージシャンの口から初めて出た一言だったのかもしれない。しかし、それが誰であったのかを特定するのは難しい。なぜなら、grooveとは「理論」ではなく「体感」だからである。人々が身体を揺らし、演奏に没頭し、気持ちよさを共有する中で、grooveという言葉が自然発生的に使われ始めたと考えるのが妥当である。
それはアメリカ南部の黒人音楽文化、すなわちブルース、ジャズ、ソウル、ファンクといったジャンルの文脈の中で熟成されてきた。言い換えれば、grooveとは単なる音楽用語ではなく、抑圧と創造の歴史が生んだ文化的な語彙でもあるのだ。
終わりなきgrooveの旅
今日、ジャンルを問わず多くのミュージシャンが「グルーヴ」を求めて演奏する。テクノでもロックでも、R&Bでも、クラブ・ミュージックでも、grooveは「何かがハマっている」という感覚を共有するための共通言語となった。そこには言語や文化を超えて人を繋げる力がある。
結局のところ、grooveは誰かが最初に言い出したものではなく、人々の身体と時間の中で自然に生まれてきた概念なのである。そして、それはこれからも無数の形で生まれ続けていくだろう。なぜなら、音楽の本質が「音とリズムによって何かを感じさせること」にある限り、grooveは永遠に更新されるからだ。

Shin Kagawa:100年後の音楽シーンを勝手気ままに妄想し続ける妄想系音楽ライター。AI作曲家の内省ポップや、火星発メロウ・ジャングルなど架空ジャンルに情熱を燃やす。現実逃避と未来妄想の境界で踊る日々。好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。