
強く、優しく、揺らめくように響く音。
レゲエはジャマイカの土の匂いとともに生まれ、やがて海を渡り、世界中の心に根を下ろした──。
なぜこの音楽はこれほど人を惹きつけるのか?
どこまでが「レゲエ」で、どこからがその先なのか?
本連載では、誕生から進化、拡張、そして現在へと続くレゲエの物語を、全6回で丁寧にひもといていく。
音楽としての魅力はもちろん、その背後にある歴史、思想、コミュニティにまで迫る旅。
きっと読み終えたとき、レゲエという言葉が、音楽以上の意味を持つはずである。
かつてジャマイカの片隅で生まれたレゲエは、半世紀以上をかけて世界中に根を下ろし、枝を伸ばし、数えきれないほどの実をつけてきた。
しかし、2020年代の現在、レゲエは“時代遅れ”と思われることすらある。Spotifyのチャートを見ても、クラブのフロアを見渡しても、かつてのように「レゲエ」として聴かれる機会は減っているのが実情だ。
だが、ほんとうにそうだろうか? レゲエは消えたのではない。変わり続けて、私たちの生活の深くに溶け込んでいるのである。
「現代のレゲエ」はどこで生きているか
2020年代のレゲエは、もはや「ボブ・マーリー型」のイメージだけでは語れない。むしろ、さまざまな地域でローカルな解釈を受けながら生まれ変わっている。
● ジャマイカ:Rootsの再評価と新世代の台頭
クロニクス、プロトジェイ、コフィーといった若きスターたちは、ルーツ・レゲエへの回帰とモダンな感覚の両立を試みている。彼らの音楽は、レゲエの魂を次世代に接続する架け橋となっている。
● アフリカ:ルーツの再発見
レゲエはもともとアフリカ的アイデンティティに根ざしていた。その地で今、Stonebwoy(ガーナ)やバーニング・スピアの影響を受けたアーティストたちが新しい波を起こしている。
● ヨーロッパ:サウンドシステム文化の復活
フランス、ドイツ、イギリスでは、レゲエ/ダブのヴァイブスが若者たちの間で再燃。スピリチュアルでDIYな音楽としての再評価が進んでいる。
デジタル時代の中で、何を継承すべきか
テクノロジーが発達し、音楽が“消費”される時代において、レゲエの価値はどこにあるのか? 答えは明快である。 それは、音楽がコミュニティの「声」だった時代の記憶であり、抵抗のリズムであり、癒しのルーツである。
コフィーのようにグラミー賞を受賞する若手が現れると同時に、SoundcloudやBandcampには名もなきDeeJayたちの地下レゲエが息づいている。 また、ヒップホップやポップがレゲエの語法を借りて生まれ変わる姿も、レゲエが“血流”として今なお流れていることを証明している。
レゲエはジャンルではなく、精神である
最も重要なことを確認しよう。 レゲエとは単なる音楽ジャンルではない。それは、生き方であり、呼吸であり、思想である。
•一音一音に込められたスピリチュアリティ
•不正義に対する抵抗
•ルーツへの回帰
•そして、人間同士の連帯と、癒し
それらは、私たちが今もなお必要とする価値観であり、未来の音楽が向かうべき灯台でもある。 だからこそ、レゲエは“過去の音楽”ではない。これからの時代を再び照らし出す、可能性の塊なのである。
レゲエの未来に、私たちができること
未来にレゲエを生かすために、リスナー、メディア、アーティストが果たすべき役割がある。
•リスナー: チャートだけでなく、自分の足で未知の音楽を探す意志
•メディア: メインストリームにいない声を拾い上げるまなざし
•アーティスト: 既存の枠組みにとらわれず、新たな形でレゲエの思想を更新する勇気
Spotifyで「ルーツレゲエ」と検索することも、YouTubeでKoffeeのライヴ映像を見ることも、あるいはサウンドシステムのイベントに足を運ぶことも、すべてが未来のレゲエを育てる一歩となる。
おわりに:リズムは絶え間なく続いていく
ジャマイカの赤土の大地で刻まれたリズムは、いまもなお、地球のどこかで鳴り続けている。 それは耳をすませば聴こえる、遠くからやってくる鼓動のようなものだ。レゲエとは何か? それは、世界を変える音楽ではないかもしれない。けれど、私たちひとりひとりの生き方を、そっと変えてしまうような音楽なのだ。
そしてそれは、この瞬間も、確かに、誰かの心の中で鳴り続けている。
One Love, One Heart. Let’s get together and feel all right.

Jiro Soundwave:ジャンルレス化が進む現代音楽シーンにあえて一石を投じる、異端の音楽ライター。ジャンルという「物差し」を手に、音の輪郭を描き直すことを信条とする。90年代レイヴと民族音楽に深い愛着を持ち、月に一度の中古レコード店巡礼を欠かさない。励ましのお便りは、どうぞ郵便で編集部まで──音と言葉をめぐる往復書簡を、今日も心待ちにしている。