
ジャズは20世紀初頭のアメリカで誕生し、その後100年以上にわたり進化を続けてきた音楽である。ニューオーリンズの街角で生まれた即興演奏は、やがてスウィング時代のダンスミュージックへと発展し、ビバップによって知的な芸術へと昇華された。さらに、モード・ジャズやフリー・ジャズが新たな表現を切り拓き、フュージョンやスムース・ジャズが多様なリスナーへと広がっていった。
そして2000年代以降、ジャズはヒップホップやエレクトロニカ、ワールドミュージックと融合しながら、新たな時代を迎えている。ロバート・グラスパーやカマシ・ワシントンが現代ジャズを牽引し、UKジャズシーンではシャバカ・ハッチングスやアルファ・ミストが独自の進化を遂げている。
今もなお変化し続けるジャズ。その歴史を紐解きながら、音楽の魅力と未来を探っていこう。
1980年代以降のジャズは、かつてないほどの多様性を内包する時代へと突入した。フリージャズやエレクトリック・ジャズの実験が一段落を見せた後、ミュージシャンたちは改めてジャズの「伝統」と向き合いながらも、新たな表現の可能性を模索し始めた。ここで台頭したのが「ネオ・バップ(Neo-Bop)」と「コンテンポラリー・ジャズ(Contemporary Jazz)」である。この潮流の中核を担ったのが、トランペット奏者のウィントン・マルサリスとギタリストのパット・メセニーであることは言うまでもないが、彼らの周囲にも多くの革新的アーティストが集い、ジャズの再生と拡張を同時に推し進めた。
ジャズの伝統回帰 ── ウィントン・マルサリスとネオ・バップ
ウィントン・マルサリスが1980年代初頭に登場したことは、ジャズ史における大きな転換点であった。若干20歳にしてアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズに参加した彼は、技術、知識、哲学の三拍子揃った“正統派”の申し子であった。マルサリスは、ビバップやハードバップといった1950〜60年代のジャズの言語を現代に蘇らせ、その本質を新たな感性で再解釈するという姿勢を貫いた。
彼の代表作『Black Codes (From the Underground)』(1985年)は、緊密なアンサンブルと知的な即興を兼ね備えたネオ・バップの象徴とも言える作品である。同作でマルサリスはグラミー賞を受賞し、「クラシックとジャズの両分野でグラミーを受賞した初のアーティスト」という快挙も達成した。こうした業績は、単なる演奏技術の高さに留まらず、ジャズという文化の尊厳を再確認させる意義を持ったのである。
また、マルサリスは演奏活動にとどまらず、教育活動にも尽力している。ジャズ・アット・リンカーン・センター・オーケストラの芸術監督として、次世代のジャズ・ミュージシャンの育成にも尽力。彼の理念は、ケニー・ギャレット(sax)やマーカス・ロバーツ(piano)といった後続世代にも受け継がれていった。
ジャンルの越境 ── パット・メセニーとコンテンポラリー・ジャズの革新
一方で、ウィントン・マルサリスとはまったく異なるアプローチからジャズを更新したのがギタリストのパット・メセニーである。彼は1970年代後半から頭角を現し、1980年代にはジャズとロック、ブラジル音楽、アンビエントを融合させた独自の音楽世界を築き上げた。
特に1987年のアルバム『Still Life (Talking)』は、ブラジルのリズムやメロディを大胆に取り入れ、メセニーならではのエモーショナルで映像的な音楽を確立した作品である。そこには、盟友ライル・メイズとの緊密なコラボレーションが大きく貢献している。彼らのライブでは、技術的な精密さと豊かな情感が共存し、観客に深い感動を与える。1992年の東京〈Live Under The Sky〉でのパフォーマンスは、そのひとつの到達点として語り継がれている。
さらに注目すべきは、1985年に発表されたフリージャズの巨匠オーネット・コールマンとの共演作『Song X』である。この作品は、メセニーの内に秘められた実験精神をあらわにし、コンテンポラリー・ジャズの多層性を象徴する一作となった。こうした取り組みによって、彼はビル・フリゼールやジョン・スコフィールドと並び、現代ジャズ・ギターの新たな地平を切り開いた存在とされる。
ふたつの潮流、そしてその先へ
ネオ・バップとコンテンポラリー・ジャズ。このふたつの潮流は一見対照的でありながら、どちらもジャズという音楽の多面性を浮き彫りにする役割を果たしている。ウィントン・マルサリスが伝統の継承と純化を追求する一方で、パット・メセニーは既存のジャンルを溶解させ、新たな景色を描き出す。まさに、保存と革新という両輪が1980年代以降のジャズを前進させてきたと言えるだろう。
この時代を語る上で欠かせないのが、ジョシュア・レッドマンやクリスチャン・マクブライド、ブランフォード・マルサリスといった、マルサリス以降の世代による再評価と再構築の試みである。ある者はジャズの語法に根ざしつつ、ヒップホップやR&Bの要素を自然に取り込んだ。また、エスペランサ・スポルディングのように、ジャズを通じて詩的で政治的な表現へと踏み出すアーティストも現れた。
結びにかえて
1980年代以降のジャズは、「伝統か革新か」という二項対立を超え、むしろその両方を内包しながら多様に枝分かれしていった。その中心には、ウィントン・マルサリスのように歴史と対話する姿勢、そしてパット・メセニーのように未来を夢想する感性があった。そしてこの潮流は現在もなお、進行形で拡張し続けている。
「ジャズは終わった」と語られた時代もあった。しかし今、ジャズはむしろ新たな始まりに立ち会っている。過去を知ることが未来を拓く。その象徴として、ネオ・バップとコンテンポラリー・ジャズは語り継がれるべきなのである。

Jiro Soundwave:ジャンルレス化が進む現代音楽シーンにあえて一石を投じる、異端の音楽ライター。ジャンルという「物差し」を手に、音の輪郭を描き直すことを信条とする。90年代レイヴと民族音楽に深い愛着を持ち、月に一度の中古レコード店巡礼を欠かさない。励ましのお便りは、どうぞ郵便で編集部まで──音と言葉をめぐる往復書簡を、今日も心待ちにしている。