[連載:JAZZ IN MOTION]フュージョンとエレクトリック・ジャズ(1970年代)

ジャズは20世紀初頭のアメリカで誕生し、その後100年以上にわたり進化を続けてきた音楽である。ニューオーリンズの街角で生まれた即興演奏は、やがてスウィング時代のダンスミュージックへと発展し、ビバップによって知的な芸術へと昇華された。さらに、モード・ジャズやフリー・ジャズが新たな表現を切り拓き、フュージョンやスムース・ジャズが多様なリスナーへと広がっていった。

そして2000年代以降、ジャズはヒップホップやエレクトロニカ、ワールドミュージックと融合しながら、新たな時代を迎えている。ロバート・グラスパーやカマシ・ワシントンが現代ジャズを牽引し、UKジャズシーンではシャバカ・ハッチングスやアルファ・ミストが独自の進化を遂げている。

今もなお変化し続けるジャズ。その歴史を紐解きながら、音楽の魅力と未来を探っていこう。

1970年代、ジャズは大きな変革の波に飲み込まれていた。ビバップやハードバップ、モード・ジャズといったスタイルを経たジャズは、次なる地平を目指して進化を遂げ、ロックやファンクと融合することで「フュージョン」あるいは「エレクトリック・ジャズ」と呼ばれる新たな音楽ジャンルを生み出したのである。この動きは、ジャズの枠にとどまらず、世界中の音楽シーンに波紋を広げていくこととなった。

この革新の中心には、マイルス・デイヴィス、ウェザー・リポート、ハービー・ハンコックといった巨匠たちがいた。彼らは電子楽器を積極的に導入し、即興演奏に加えてテクノロジーとの対話を通じたサウンドを構築することで、新しいジャズの可能性を切り拓いたのである。

革新の導火線 ── マイルス・デイヴィスと『Bitches Brew』

マイルス・デイヴィスは、ジャズの歴史において常に「次」を追い求める存在であった。1950年代にはクール・ジャズ、1960年代にはモード・ジャズを切り開き、1970年にはエレクトリック・ジャズという新たな領域へと突き進む。その象徴となる作品が、1970年に発表されたアルバム『Bitches Brew』である。

このアルバムでは、エレクトリック・ギターやシンセサイザー、エレクトリック・ピアノといった電子楽器が大々的に用いられており、ロックやファンクのビートと、ジャズの即興性とが絶妙に融合している。ジョン・マクラフリンのギター、チック・コリアやジョー・ザヴィヌルのキーボードが織りなす音世界は、既存のジャズの枠を大きく超えるものであった。

『Bitches Brew』の登場は、保守的なジャズリスナーには衝撃的であった一方、ロックファンや実験音楽に興味を持つ層には熱狂的に受け入れられた。このアルバムによって、マイルスは再びジャズの中心人物としての地位を確固たるものにしたのである。

ウェザー・リポートとジャンルの越境

『Bitches Brew』の制作に参加していたジョー・ザヴィヌルとウェイン・ショーターは、その後、1971年にウェザー・リポートを結成する。彼らの音楽は、ジャズに加え、ロック、ファンク、さらにはラテンやアフリカ音楽の要素までも取り入れた多国籍的なものであり、真に「フュージョン」という言葉にふさわしい音楽性を誇っていた。

1977年に発表されたアルバム『Heavy Weather』は、商業的にも芸術的にも高い評価を得た作品であり、特に収録曲「Birdland」は、キャッチーなメロディと緻密なアレンジによって広く知られることとなった。この曲は、マンハッタン・トランスファーやクインシー・ジョーンズといった他ジャンルのミュージシャンにもカバーされ、フュージョンをポップスやソウルのリスナーにも身近な存在へと押し上げた。

また、ウェザー・リポートには後にジャコ・パストリアスという稀代の天才ベーシストが加入し、その革新的なフレットレスベースの演奏は、ベースという楽器のあり方すら変えてしまったと言われている。

ハービー・ハンコックと『Head Hunters』の衝撃

マイルス・デイヴィスのバンドで頭角を現したもうひとりの鍵となる人物が、ハービー・ハンコックである。彼は1973年、アルバム『Head Hunters』をリリースし、フュージョンの決定的な代表作を提示した。このアルバムでは、エレクトリック・ピアノやシンセサイザー、ファンキーなベースラインが印象的な「Chameleon」が収録されており、そのグルーヴ感は当時の若い音楽リスナーを熱狂させた。

ハンコックの功績は、アカデミックなジャズ教育を受けたピアニストでありながら、ポップカルチャーとの接点を恐れずに追求した点にある。彼の音楽は、スティーヴィー・ワンダーやジョージ・デュークといったブラック・ミュージックのアイコンたちとも呼応しながら、新しい「黒人音楽」の在り方を模索したものでもあった。

拡張されるジャズの地平

この時期、他にもフュージョンを牽引したアーティストは数多く存在する。チック・コリア率いる「リターン・トゥ・フォーエヴァー」は、ラテン的な要素を取り入れたメロディアスな楽曲で人気を集め、ジョン・マクラフリンの「マハヴィシュヌ・オーケストラ」は、インド音楽のリズムとロックの攻撃性を融合したアグレッシブなサウンドを展開した。

日本においてもこの潮流は確実に波及し、渡辺貞夫や高中正義、カシオペア、T-SQUAREといったアーティストたちが独自のフュージョン・サウンドを生み出していく。YMO以前の電子音楽的実験の一端を担っていた深町純なども、この動きと無関係ではなかった。

終わりなき融合の旅へ

1970年代のフュージョンとエレクトリック・ジャズの誕生は、ジャズがジャンルとして生き延びるための一つの進化形であった。ジャズは変化を恐れず、他のジャンルとの対話を通じて、新たな地平を切り開いたのである。

この時代のジャズは、もはやひとつのスタイルにとどまるものではなかった。即興性を核としながらも、時にポップに、時に実験的に、そして時に国境を越えて、ジャズは今なお「運動(モーション)」の中にある。その原点となった1970年代のフュージョンこそ、今ふたたび見直されるべき豊穣な音楽の宝庫なのである。

Jiro Soundwave:ジャンルレス化が進む音楽シーンにあえて抗い、ジャンルという「物差し」で音を捉え直す音楽ライター。90年代レイヴと民族音楽をこよなく愛し、月に一度は中古レコード店を巡礼。励ましのお便りは郵便で編集部まで

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