
サンプリングとは何か?
「サンプリング」という言葉は、現代の音楽制作において日常語である。既存の音源の一部を抽出し、新たな文脈で再利用する行為──これが音楽的意味でのサンプリングである。しかしその起源は単純ではなく、技術、文化、言葉、法制度という複数の層で成立してきた。
誰が最初に「サンプリング」という言葉を口にしたのかを問う前に、まず歴史を辿る必要がある。1950年代の電子音楽から始まり、1970年代のサンプラー登場、1980年代のヒップホップによる実践、そして商業音楽・批評文化への浸透までの流れを追うことで、「サンプリング」という言葉の意味と重みが見えてくる。
ミュージック・コンクレートの萌芽──学者たちの切り貼り
サンプリングの技術的ルーツは、1940〜50年代の電子音楽にある。フランスのピエール・シェフェールは、列車や街の雑踏、環境音を録音し、テープを切り貼りして新しい音楽を作る手法「ミュージック・コンクレート」を提唱した。
この手法の代表作として、《Étude aux chemins de fer(鉄道習作)》(1948) がある。列車の走行音を加工し、テンポやリズムを再構成することで、音そのものの質感を再解釈した。ここで行われていたのは、まさに後のサンプリング的行為である。
一方、カールハインツ・シュトックハウゼンもテープ音楽を駆使した。彼の《Gesang der Jünglinge》(1956) では、少年の声と電子音を組み合わせ、既存の音源を抽象化・再構築している。重要なのは、まだこの時代は「サンプリング」という言葉は存在せず、あくまで「テープ音楽」「具体音楽」と呼ばれていたことだ。
この時代の学者たちは、音を物理的に切り貼りする行為そのものに注目しており、「サンプリング」という用語ではなく、音の抽象的操作や電子音の可能性に焦点を当てていたのである。
フェアライトCMIがもたらした革命──デジタル・サンプリングの夜明け
1979年、オーストラリアのフェアライト社が発表したフェアライトCMIは、音楽史を大きく動かすこととなる。この楽器は、任意の音をデジタル化して鍵盤で演奏可能にする、世界初の商用デジタル・サンプラーであった。
ピーター・ガブリエルやケイト・ブッシュなど、当時のポップス界の先駆者たちがこぞって採用した。ケイト・ブッシュは《Hounds of Love》アルバム(1985)でフェアライトCMIを効果的に使用し、従来の楽器では不可能な音響効果を実現した。
フェアライト社は、この技術を「デジタル・サウンド・サンプリング」として市場に紹介した。ここで「サンプリング」という用語が、工学的な意味から音楽制作における具体的な手法として認識されるようになったのである。ただし、この段階では主に技術仕様書や専門誌での使用にとどまっていた。
ブロンクスの現場から文化へ──ヒップホップとサンプリング
一方、1970年代後半のニューヨーク・ブロンクスでは、ヒップホップDJたちが既存のレコードから「ブレイク部分」を抽出してループさせる手法を生み出した。DJ クール・ハーク、グランドマスター・フラッシュ、アフリカ・バンバータらが実践したこの技法は、理論的にはサンプリングと同等であるが、当時は「ブレイクビーツ」や「ループ」と呼ばれていた。
特筆すべきは、彼らが既存音源を新しい文脈で再利用するという文化的行為を通して、後にサンプリングと呼ばれる手法を音楽体験の中心に据えたことである。この行為は単なる技術ではなく、社会やダンスカルチャーに直結しており、サンプリングの文化的価値を一気に押し上げた。
アカイ・E-MUの民主化──サンプラーが音楽を開放する
1980年代半ば、AKAI Professional S900(1986)やE-MU SP-1200(1987)が登場すると、サンプリングはプロだけの専有物ではなくなった。低価格で扱いやすいサンプラーが登場したことで、誰もが自宅で音を録音し、加工して音楽を作れる環境が整ったのである。
SP-1200は特に短いサンプル時間とローファイな音質で知られる。この特徴は逆にヒップホップ特有のグルーヴ感を生み出すことになり、パブリック・エナミー《Fight the Power》、デ・ラ・ソウル《Me Myself and I》、ギャング・スター《Mass Appeal》などの名作を生んだ。
この時期になると、音楽メディアでも「サンプリング」という用語が一般化し始め、技術解説記事や楽曲レビューで頻繁に使用されるようになった。1980年代末には、ヒップホップ以外のジャンルでもサンプリング技術が取り入れられ、用語としても確立していく。
批評・法制度・未来──サンプリングの言葉が定着した瞬間
1980年代後半から1990年代にかけて、「サンプリング」は音楽用語として完全に確立し、批評や法制度の議論対象ともなった。音楽誌では、ヒップホップやハウス、ダンスミュージックの新潮流を説明する際に「サンプリング」という用語が標準的に使用されるようになった。
1991年のビズ・マーキー対ギルバート・オサリバン訴訟は、サンプリングが著作権問題に直結することを世界に知らしめた。この裁判以降、サンプリングは単なる技術的手法を超え、「文化的引用」「創造性」「著作権」の問題と不可分に結びつき、音楽産業全体に大きな影響を与えた。
1990年代以降、DTM(デスクトップミュージック)の普及により、サンプリングはより身近な技術となった。日本でも、テクノやトランス、後にはJ-POPの制作現場でサンプリング技術が広く活用されるようになった。
今日では、DAW(Digital Audio Workstation)の標準機能としてサンプリングが組み込まれ、ジャンルを問わず多くのアーティストが日常的に使用している。サンプリングは、過去の音楽を再解釈し、新しい文脈で提示する文化的装置として、現代音楽制作において不可欠な要素となっている。
結論
「サンプリング」という言葉は、1970年代末のフェアライト社による技術用語としての使用に始まり、1980年代のヒップホップ文化とサンプラーの普及を通じて音楽用語として定着した。単なる録音・再生技術から、文化的実践、さらには法的・倫理的議論の対象へと発展したサンプリングは、現代音楽における創造性の新たな形を示している。
技術者たちが生み出した言葉が、ストリートのDJたちによって文化的意味を獲得し、最終的に音楽産業全体の共通言語となった──これがサンプリングという言葉の真の軌跡なのである。

Shin Kagawa:音楽の未来を自由に妄想し続ける、型破りな音楽ライター。AI作曲家による内省的なポップや、火星発のメロウ・ジャングルといった架空の音楽ジャンルに心を奪われ、現実逃避と未来の音楽シーンを行き来しながら執筆を続ける。幻想的なアイデアと現実のギャップを楽しむ日々の中で、好きな映画は『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』。









