[連載:MEMORIES OF THE DANCE FLOOR]第4回:アシッドハウスとレイヴ ── 境界を越えるサウンドと精神

1980年代末、ロンドンの曇り空の下、何かがはじけようとしていた。ハウスミュージックがシカゴから飛び火し、デトロイトテクノがヨーロッパの耳を刺激し始めたそのころ、UKの若者たちはただ踊るためだけに、郊外の倉庫や野原に集まりはじめる。クラブではない場所。許可されていない時間。そこには、新しい音と新しい価値観が渦巻いていた。

アシッドハウスとレイヴ。この2つのキーワードは、単なるジャンル名を超えて、ひとつの「カルチャー」を形作った。派手な笑顔のスマイリーフェイス、24時間踊り明かすレイヴパーティ、そして合法と非合法の狭間で揺れる若者たちの自由の叫び。今回は、1980年代後半から90年代初頭にかけて広がったアシッドハウスとレイヴカルチャーの爆発的な拡張について語ってみたい。

TB-303が解き放った音

アシッドハウスの始まりは、ある意味偶然だった。ROLANDのベースマシン「TB-303」が、中古市場で安く手に入るようになったことがすべての発端である。本来はベースギターの代用品として設計されたこの機械が、思いがけず、うねるようなサイケデリックなサウンドを生み出すことが判明したのだ。

このTB-303を最初に武器として使いこなしたのが、シカゴのDJたち、特にPhutureのDJピエール、スパンキー、ハーブJである。彼らの楽曲「Acid Tracks」(1987)は、シカゴのクラブ「Music Box」で伝説的なDJ、ロン・ハーディの手によってプレイされ、徐々に評判を呼んだ。くねくねと動くようなベースライン、ヒプノティックなグルーヴ ── それまでのハウスとは一線を画すサウンドが、クラブの空気を塗り替えた。

この「アシッドハウス」は瞬く間に大西洋を越え、特にUKで爆発的な人気を博す。保守的な社会の中で鬱屈した若者たちが、既存の価値観をぶち壊すように、アシッドハウスの音に陶酔していく。

セカンド・サマー・オブ・ラブ

1988年から89年にかけて、イギリスでは「Second Summer of Love」と呼ばれる現象が起きる。ヒッピーカルチャーの再来にも似た空気。レイヴパーティが郊外の農地や廃墟で次々に開かれ、参加者は数千人、時には数万人にものぼった。

ロンドンの若者たちは、たとえばダニー・ランプリングが始めた「Shoom」や、Paul Oakenfoldによる「Spectrum」など、初期のアシッドハウスパーティで歓喜の渦に巻き込まれていく。DJはレコードを次々と繋ぎ、ダンサーたちは「E」(エクスタシー)と呼ばれるドラッグの多幸感の中で、時間の感覚を失いながら踊り続けた。

この時期に流行ったトラックには、ア・ガイ・コールド・ジェラルドの「Voodoo Ray」、808ステイトの「Pacific State」、そしてThe KLFなどがある。これらの音楽は、シンプルでありながら身体を突き動かすグルーヴを持ち、ダンスフロアの共通言語となった。

レイヴは、ただの音楽イベントではない。そこにはドレスコードもなければ、VIPルームもない。誰もが平等で、誰もが解放される空間。音と光に包まれた夜の野原で、都市のルールを一時的に忘れる自由。私はこの時代の記録を読むたび、音楽が本当に「場」を変える力を持っていたことに感動する。

レイヴ・カルチャーの政治性

もちろん、レイヴの自由はすべてが美しかったわけではない。違法ドラッグの蔓延や、暴走するマスイベントによって、イギリス政府は次第にレイヴパーティに対する規制を強めていく。1994年には「Criminal Justice and Public Order Act」という法律が制定され、「反復するビートを持つ音楽」を理由にパーティが取り締まられるようになった。

この動きに反発して、レイヴカルチャーはますます政治的な側面を帯びていく。音楽が「国家に管理されるもの」になるとき、サウンドシステムや野外パーティは「抵抗」の象徴へと変わっていった。Spiral Tribeのようなフリーパーティ集団は、制度に抗う形でDIYのレイヴを続け、その精神は後のテクノカルチャーやフェスティバルに深く受け継がれていく。

今に残るレイヴの遺伝子

アシッドハウスとレイヴが遺した最大のものは、「自由」の感覚である。音楽を通じて、見知らぬ人と踊り、境界を溶かし、夜を駆け抜ける体験。それは今日のクラブカルチャーの基盤となっている。

現代のアーティストであれば、ニーナ・クラヴィッツやヘレナ・ハウフのようなDJが、当時のアシッドやレイヴのエネルギーを受け継ぎつつ、自分の感覚で再構築していると感じる。彼女たちのセットには、時代や場所を超えたグルーヴが流れており、それはまさにアシッドハウスの精神そのものだ。

次回は「ジャングルとUKガラージ ── 都市が生んだスピードとソウル」。ロンドンの多文化的な土壌が生み出した、より速く、より深いダンスミュージックの進化を追っていく予定である。アンダーグラウンドの熱狂は、まだまだ続く。


Kei Varda:音楽文化研究者/ライター。ポストクラブ時代の感性と身体性に着目し、批評と記録の間を行き来する。特定の国や都市に属さない、ボーダーレスな語り口を好む。最近はリズムと都市構造の相関関係をテーマにした執筆に注力中。

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