[音の地球儀]第20回 ── ケルトの記憶:アイルランドの旋律と語りの再生

民族音楽は、その土地の暮らしや風土、信仰、歴史を音に刻み込んだ、人類の“声”である。電子音が世界を席巻する今もなお、世界各地には太鼓や笛、声と手拍子だけで継承されてきた音楽文化が息づいている。この連載では、アフリカのサバンナからアジアの山岳地帯、南米の密林から極北のツンドラ地帯まで、世界中の知られざる民族音楽を訪ね歩く。単なる紹介にとどまらず、その背景にある文化や物語にも光を当て、音楽を通じて世界をより深く知る旅へと誘う。音の地球儀を、いま一緒に回しはじめよう。

緑なす丘陵、風渡る荒野、石垣と霧の村々 ── アイルランドの伝統音楽は、こうした風景と密接に結びつきながら、人々の暮らし、信仰、そして歴史を語り続けてきた。ティン・ホイッスルやフィドルが織りなす優美な旋律、口伝えに受け継がれる古謡の詩情、そして植民地主義やディアスポラの記憶が複雑に絡み合う声と音。今回は、アイルランドという文化圏に息づくケルト音楽の本質と、それを現代に再生する動きに耳を傾けてみたい。

土地と言葉 ── ケルト音楽の源流をたどる

アイルランド音楽の核心には、「語り」と「旋律」が共存する豊かな伝承がある。これはしばしば“セアノース(sean-nós)”と呼ばれる古風なスタイルに象徴される。装飾的なメロディ、自由なテンポ、詩的なゲール語の発音 ── その全てが、話すように歌い、歌うように語る音楽観に貫かれている。

このようなスタイルは、農村部の家々、村の集会所、パブの片隅などで代々受け継がれてきた。音楽は特定の「作曲者」がいるものではなく、共同体の中で自然に生まれ、変化し、記憶されていく生き物なのだ。

一方で、この文化は植民地支配という歴史的圧力によって、長らく抑圧されてきた。19世紀以降、イギリス支配下のアイルランドでは、ゲール語の使用が制限され、伝統音楽も「野蛮な過去」として切り捨てられた。だがその中でも、音楽は抵抗と連帯の手段として生き続けた。

音と言葉の織物 ── 楽器の美学と語りの構造

アイルランドの伝統楽器は、素朴ながらも緻密な音色をもつ。フィドル(バイオリン)は旋律を優雅に導き、ティン・ホイッスルやロー・ホイッスルは風のように軽やかに音階を飛翔する。ボーランと呼ばれる片面太鼓は、掌や木のスティックで繊細に叩かれ、心臓の鼓動のように音楽を支える。

これらの楽器は即興性と反復のバランスを保ちながら、楽曲を織物のように編み上げていく。とくにダンス曲(ジグ、リール、ホーンパイプなど)では、旋律が循環しながら次第に熱を帯び、聞き手と演奏者が一体となって“トランス状態”に至るような体験が生まれる。

一方、物語を語る語り手「シャナキー(seanchaí)」の存在も忘れてはならない。彼らは民話、神話、英雄譚を詩的に語ることで、文字によらない記憶のアーカイブを担ってきた。その語りもまた、音楽と不可分であり、ときに旋律を交えて語られることさえある。

移民と再生 ── ディアスポラに根づいた音楽

11845年に始まった大飢饉(グレート・ハンガー)を契機に、アイルランド人の大規模な移民が始まる。約100万人が飢餓と疾病で命を落とし、さらに100万人以上が国外へ移住した。アメリカやカナダ、オーストラリアに渡った人々は、伝統音楽を心の支えとして持ち込み、それが各地で変容を遂げた。たとえば、アイルランド音楽はアメリカ南部のオールドタイムやブルーグラスの形成にも影響を与えている。

こうした「ディアスポラ音楽」は、単なる保存ではなく、再創造である。移民先で出会った楽器や言語、他の音楽ジャンルとの融合によって、伝統が“現代化”される。このダイナミズムが、アイルランド音楽のしなやかさの源とも言える。

現代の声 ── トラッド×実験音楽の試み

1990年代以降、伝統と実験を両立させるアーティストが多く登場している。たとえば、The Gloamingはクラシック、ミニマル音楽、ジャズの要素を融合させた新たなアイルランド音楽を展開。詩人のような歌声と緻密なアンサンブルが特徴的だ。

また、Lankumは伝統曲にドローンやノイズを導入し、民謡とアヴァンギャルドの交差点を描き出す。聖と俗、過去と未来を大胆に混在させるその手法は、従来のフォークの枠組みを大きく揺るがした。

若い世代によるエレクトロニカやヒップホップとの融合も進んでいる。ダブリン出身のアーティストRadie PeatやYe Vagabondsは、現代詩的なアプローチで“声の風景”を更新し続けている。

結び ── 音楽が記憶を編みなおす

アイルランドの伝統音楽は、かつて「過去の遺産」とされながらも、常に時代の変化と共に呼吸してきた。語りと歌、旋律とリズム、村の記憶と都市の実験 ── それらが折り重なりながら、ひとつの「音の共同体」を築いている。

“記憶”とは固定されたものではなく、声にされ、歌われることで何度でも生まれ変わる。音楽はその過程のなかで、個人の心と歴史を架橋する“橋”となるのだ。

第20回という節目にふさわしく、アイルランド音楽がもつ「記憶の再生力」に耳を澄ますことは、これまでの旅を静かに振り返るとともに、次なる音の地平を照らす行為でもある。

さあ、次はどこへ向かおうか ── 笛と声と太鼓の響きが、また新たな土地へと誘ってくれるだろう。

Sera H.:時代を越える音楽案内人/都市と田舎、過去と未来、東洋と西洋。そのあわいにいることを好む音楽ライター。クラシック音楽を軸にしながら、フィールド録音やアーカイブ、ZINE制作など多様な文脈で活動を展開。書くときは、なるべく誰でもない存在になるよう心がけている。名義の“H”が何の頭文字かは、誰も知らない。

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