[音の地球儀]第7回 ── 風が運ぶ記憶:アンデスの笛と高地の祈り

民族音楽は、その土地の暮らしや風土、信仰、歴史を音に刻み込んだ、人類の“声”である。電子音が世界を席巻する今もなお、世界各地には太鼓や笛、声と手拍子だけで継承されてきた音楽文化が息づいている。この連載では、アフリカのサバンナからアジアの山岳地帯、南米の密林から極北のツンドラ地帯まで、世界中の知られざる民族音楽を訪ね歩く。単なる紹介にとどまらず、その背景にある文化や物語にも光を当て、音楽を通じて世界をより深く知る旅へと誘う。音の地球儀を、いま一緒に回しはじめよう。

南米アンデス山脈の高地に暮らす人々にとって、風は単なる気象ではない。風は神の息吹であり、記憶の運び手である。彼らの音楽は、風にのせて鳴らされる笛の音を中心に発展してきた。シーク、サンポーニャ、ケーナといった管楽器たちは、祭り、祈り、日常の中で人々の心と自然をつなぐ。第7回では、アンデス音楽の根幹をなすこれらの笛に焦点をあて、高地にこだまする旋律とその精神性を辿っていく。笛は吹くものではなく、風と一緒に“祈る”ものなのだ。

アンデス音楽との出会い──息を込めるということ

標高3,800メートル、ボリビアのラパス近郊。マーケットの一角で聴いたのは、シンプルなメロディを繰り返す笛の音だった。だが、そこには耐え難い切なさと、山を越えて届くような伸びやかさがあった。

それがアンデスの伝統的な笛──サンポーニャ(Panpipes)とケーナ(縦笛)*による音楽だった。息を吹きこむのではなく、“風に鳴ってもらう”という感覚。吹き手は、笛のひとつひとつの音孔に精霊が宿っていると信じ、敬意をもって吹く。人と自然、祖先と現在をつなぐ、その媒介が笛なのである。

パンパイプとケーナ ── 楽器と身体の関係

アンデス音楽に欠かせないのが、シーク(Siku)とも呼ばれるパンパイプである。複数の竹管を並べたこの笛は、実は「半音階」が分割されており、2人で交互に吹かないと旋律が完成しない。

これは「アイラ(ayllu)」と呼ばれる共同体単位の精神性と通じており、音楽もまた“個”では完結せず、“集団の呼吸”として成り立っている。息を交わすごとに旋律ができあがるこの構造は、身体と他者、土地との共振のメタファーでもある。

一方、ケーナ(Quena)は竹製の縦笛で、ひとりの奏者が切なくも美しい旋律を紡ぐ。インディオたちの孤独、抵抗、そして自然への賛歌が、ケーナの音色には強く宿っている。

祭りと音 ── 音楽の場は“場”そのもの

アンデス音楽の実践は、特定の舞台やコンサートホールで起こるものではない。収穫祭、聖人の日、婚礼、葬送……村ごとの小さな祭りがその場である。

例えば、ペルーのプーノ地方のカーニバル・デ・ピキージャ(Carnaval de Pukllay)では、シークと太鼓(ボンボ)が一体となって山肌に響きわたる。音は山に届き、風が応える。演奏は即興的でありながら儀式的で、そこに正確さや技巧は求められない。求められるのは“存在”すること、その空間と一体になることだ。

ケチュア語のうた ── 声が生まれる前の祈り

アンデスのうたは、ケチュア語やアイマラ語といった先住言語で歌われる。西洋的なメロディラインというよりも、呼吸、声のふるえ、音のまばらさの中に意味が宿る。

声はしばしば「笛の音」と一体になって現れる。うたは“歌”というより“語り”“叫び”“呼びかけ”に近い。

たとえば、ボリビア出身の女性歌手ルスミラ・カルピオの歌は、ケチュア語の語感と声の周波が、山の霊性と溶け合うような響きを持つ。彼女の歌には、笛に準じる「風の祈り」がある。

現代への拡張 ── フォルクローレから未来へ

1970年代にはアルゼンチンやボリビアを中心にヌエバ・カンシオン(新しい歌)運動が起こり、ケーナやチャランゴ(小型ギター)を用いたフォルクローレ音楽が社会運動と結びついた。

現代においても、アンデス音楽は新しいかたちで息づいている。特に電子音楽との融合が進んでおり、アルゼンチンのプロデューサー、チャンチャ・ビア・シルクイトは、シークやケーナのサンプルを使いながら、アンデスの霊性とクラブ・ビートを結びつけている。

このように、アンデス音楽は“保存”される文化ではなく、“呼吸し続ける”文化として進化している。

結び ── 風が鳴らす記憶

笛の音が山に消えていく。音は残らない。だが、それは人々の記憶に、土地に、そして風にしっかりと刻まれている。

アンデスの笛は、誰かに届けるためというよりも、土地と風と一体になるために吹かれる。その“非目的性”にこそ、祈りとしての音楽の原型があるのではないか。

次回、「音の地球儀」が旅するのは、また異なる風景 ── だが、音に宿る“いのち”はきっと共鳴しているだろう。

Sera H.:時代を越える音楽案内人/都市と田舎、過去と未来、東洋と西洋。そのあわいにいることを好む音楽ライター。クラシック音楽を軸にしながら、フィールド録音やアーカイブ、ZINE制作など多様な文脈で活動を展開。書くときは、なるべく誰でもない存在になるよう心がけている。名義の“H”が何の頭文字かは、誰も知らない。

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