
民族音楽は、その土地の暮らしや風土、信仰、歴史を音に刻み込んだ、人類の“声”である。電子音が世界を席巻する今もなお、世界各地には太鼓や笛、声と手拍子だけで継承されてきた音楽文化が息づいている。この連載では、アフリカのサバンナからアジアの山岳地帯、南米の密林から極北のツンドラ地帯まで、世界中の知られざる民族音楽を訪ね歩く。単なる紹介にとどまらず、その背景にある文化や物語にも光を当て、音楽を通じて世界をより深く知る旅へと誘う。音の地球儀を、いま一緒に回しはじめよう。
アフリカ西部、サハラ砂漠南縁に連なるサヘル地帯には「声によって歴史を継ぐ人々」がいる。彼らはグリオと呼ばれ、弦楽器コラの透き通る21弦の音に己の声を重ね、王家の系譜から村の起源、英雄譚、恋歌までも語り歌う。紙の歴史が到達できぬ場所で、彼らの歌は記憶の図書館として機能してきた。本稿ではマリ、セネガル、ギニアのグリオ音楽を辿り、「音楽=記録=祈り」という壮大な循環を追う。近代化と都市化が進む今、伝統はポップとの接続点を探りながら生き延びている。トゥマニ・ジャバテの名盤『The Mandé Variations』に広がる透明なアルペジオは、砂塵を越え世界のフェスを揺らし、カッセ・マディ・ディアバテの深く円熟した声は王朝の威厳を想起させる。声が語り、声がつなぎ、声が生きる。その生態系へと、耳を澄ませる旅を始めよう。やがてあなたは、歌い継ぐことこそが未来を紡ぐ行為であると気づくだろう。
グリオとは何者か──歌う歴史家たち
グリオ(ジェリ)は、西アフリカのマンデ社会において〈記憶〉と〈ことば〉を司ってきた世襲制の語り部である。マリ帝国時代から続く彼らの役割は、王や貴族の系譜、戦の功績、村々の起源神話を諳んじ、必要な場面で歌として提示することにある。史書が乏しい地域では、グリオの声こそが公式アーカイブであった。彼らは結婚式、命名式、葬送、そして乾季の夜の広場で、人々の前に立ち、21弦のコラやナゴニを奏でながら物語を紡ぐ。報酬は聴衆からの賛辞と紙幣、そして社会的尊敬である。グリオの名声は一族全体の誇りに直結するゆえ、幼少期からの厳格な口伝教育が施される。伝承を誤れば一族の信頼が揺らぐ――その緊張感が、声を鍛え、記憶を鍛え、やがて歌声そのものに威厳と艶を宿らせる。その最古のレジェンドとして語られるのが13世紀の吟遊詩人バラ=ファサ=ソンコである。彼がマンデの祖サンジャラ・ケイタを称える叙事詩《Sunjata Fasa》を編み上げた瞬間、歌は王権を支える法的文書となったと言い伝えられる。以来、グリオの社会的機能は、音楽家、外交官、調停者、風刺詩人と多面的に展開してきたのである。
コラの響き──水脈をたゆたう21弦ハープ
コラは、半割りヒョウタンに牛皮を張った胴から長い棹を伸ばし、21本の弦を左右11/10本に振り分けて張ったハープ・リュートである。澄んだ倍音を帯びるアルペジオは、砂塵が舞う乾いた大地に、涼やかな水脈を呼び込むかのように響く。トゥマニ・ジャバテのソロ名盤『The Mandé Variations』を再生すると、その透明な走句が空間を満たし、聴き手は音の粒子が肌に触れる感触さえ覚えるだろう。師である父シディキの厳格なタッチと対照的に、トゥマニは即興的で流麗だ。低音弦で周期を刻みつつ高音弦で旋律を織る両手の分業は、ポリリズムの縮図であり、ガムランが集団で行った複層構造を一人で体現している。同じくマリのバラケ・シソコはチェロ奏者ヴァンサン・セガールと組んだ『Chamber Music』で、弓弦の重厚な低音とコラの繊細な高音を交差させ、伝統と室内楽の境界を軽々と溶かしてみせた。ここでもコラは、異文化間の翻訳装置として機能するのである。弦が触れ合うわずかなノイズまでも楽曲の一部と化し、聴覚は時間の流れ自体が柔らかく屈曲する感覚に包まれる。
声と語りの構造──英雄譚から私信まで
コラが川面のきらめきだとすれば、グリオの声はその川底に横たわる大岩である。カッセ・マディ・ディアバテのアルバム『Koulandian』に針を落とすと、重く湿った低音がまず聴き手の胸を打つ。歌詞は古曼荼羅のように層を為し、家系図、戦争、農耕祭、恋愛、皮肉といった多重の意味を孕む。叙事詩《Sunjata》の朗誦では、語り部が旋律を延ばしながら合間に語りを差し挟み、音楽と朗読の境界を曖昧にする。そこでは“節”より“言葉”が優先されるため、拍子は伸縮し、旋律はあえて宙づりにされる。聴衆は、その揺らぎを楽しみながら、内容の核心が語られる瞬間を待ち受けるのである。興味深いのは、これらの語りが即興的であると同時に厳密なプロトコルに従う点だ。高位の客の名を讃える「ジャライ」、褒美を促す「ファサ」、観衆を煽る「ドニ」といった機能別の歌型が用意され、適切なタイミングで挿入される。口頭で管理される複雑な脚本は、聴衆にとっても暗黙のルールであり、共同体のリテラシーとして共有される。ゆえに観客はただの聴き手ではなく、物語を補完する共犯者となる。
揺らぐ基盤──植民地支配と都市化の波
19世紀末、フランス植民地軍が西アフリカを制圧すると、王侯貴族の保護を失ったグリオは新たな活動圏を求めざるを得なくなった。首都バマコやダカールの屋外マーケット、バー、路上が彼らの舞台となり、語りは生活者の歓楽や哀切と結びつく。戦後の独立期には国営放送と音楽コンクールが誕生し、グリオはラジオスターとなった。ユッスー・ンドゥールの〈Immigrés/Bitim Rew〉は、伝統のサバール太鼓とエレクトリックバンドを融合させ、移民としての哀切をポピュラーソングへ昇華した代表例である。
バーバ・マールが『Firin’ in Fouta』でロックやダブを導入したように、都市空間はグリオの表現を解体し、再編し、より巨大な聴衆へと投げ返した。だが同時に、地方の若きジェリは都市流行を拒み、祖霊への義務として純正スタイルを守り続ける。コラ奏者ソナ・ジョバルテがロンドン育ちの女性として家系の禁を破り楽器を手にした事実は、その緊張の最前線を象徴する。彼女の楽曲〈Gambia〉では、ストリングスとホーンが交錯する編曲の上を、凛とした歌声が伝統の語法で旋回し、過去と未来を同時に響かせる。こうして伝統と革新がせめぎ合う力学そのものが、現在のグリオ文化を駆動するエンジンなのである。
震える現場──祝祭と儀礼のサウンドスケープ
グリオ音楽の真価は、スタジオ録音ではなく、結婚式のテントや乾季の夜の広場でこそ発揮される。カラフルなバゼンを纏った女性たちが踊り、子どもが砂煙を上げて走り回り、発電機のハム音が背景に鳴る。その中でコラと声が立ち上がると、空気は一瞬で緊張し、やがて熱を帯びて沸騰する。花婿の家系を讃えた後、花嫁側の祖先へ敬意を示す歌に切り替わる瞬間、コラの即興フレーズが歓声でかき消されることも珍しくない。
この現場感を捉えた録音としては、Sterns Musicからリリースされた名盤『The Art of the Griot』(Kassé Mady Diabaté)や、UNESCO Collectionの『Mali: Music of the Manding Peoples』などが非常に貴重である。とりわけ後者には、街頭のざわめきや観衆の合いの手、即興で挟まれる揶揄や称賛がそのまま収録されており、祝祭の中でグリオが果たす機能が音響的に可視化されている。声は単なる音楽の要素ではなく、社会を調整し、関係性を媒介するツールであることが分かるだろう。
夜が更け、太鼓が静まると、残響するのはコラの余韻と涼風だけ。音楽は祝祭と日常の境界を溶かし、人々の時間感覚を再編成する。観客のひとりに向けた即席の皮肉が飛び出し、その笑いが別の節へと変換されていく様子は、即興劇のようである。ここでは聴衆もまた対話の一部であり、手拍子や掛け声、紙幣の舞いがリズムを生成する。録音が切れた後も、物語は人々の口々で翌日まで語り継がれ、声の図書館は静かにページを増やしていく。
ポップシーンへの横断──リミックスされる伝統
21世紀に入り、グリオ音楽はワールドミュージックの一角から、ヒップホップ、ダブ、EDMのサンプル源へと役割を拡張した。アメリカのプロデューサー、フライング・ロータスは、トゥマニ・ジャバテのアルペジオを切り刻んでトラック〈Dibia〉を構築し、倍音のきらめきとベースの重低音を衝突させた。ロンドンのDJアンティ・フローは、『Radio Highlife』でセネガル録音のヴォーカル断片をループし、4/4ビートの上にグリオの語りを浮かび上がらせている。注目すべきは、これらのリミックスが「異文化の装飾」としてではなく、原曲の物語機能を保持しようとしている点だ。グリオ側もまた積極的にコラをエフェクト処理し、ビートメイカーとセッションを行う。シソコ家の若手がSoundCloudでコラのループを公開すると、世界中のトラックメイカーが返信トラックを投稿し、一夜にして共同体が拡張される。伝統は「固定された過去」ではなく、更新を前提にしたプラットフォームであることが、デジタル時代にはより可視化されたのだ。変わり続けることで本質を保つ ── この逆説こそ、グリオが七百年生き延びた術であり、ガムランとの連関を思い起こさせる。音の共同体は形を変えながらも、失われることはない。
継承と未来──声が紡ぐアーカイブ
ガムランが“揺らぎ”の哲学を示したように、グリオ音楽は“声と言葉”の力をあらわにする。紙のアーカイブが劣化し、デジタルデータが更新されても、肉声に刻まれた記憶は、呼吸と鼓動に合わせて再生され続ける。マリ政府は近年、グリオの叙事詩をデジタル録音し国立アーカイブに収蔵するプロジェクトを開始したが、ジャバテ家の長老は「テープは燃えても声は燃えぬ」と静かに笑ったという。言葉は常に変形し、聴衆の反応に合わせて書き換えられる。それゆえ、記録とは固定ではなく循環であり、更新である。若いジェリたちはスマホ越しに祖父の歌を学び、TikTokで短いコラ・リフに新たな歌詞を乗せ、消費と共有のサイクルに投げ込む。伝統は縮小コピーではなく、観客と共犯になるたびに拡大再生産される装置なのだ。
結び──音の地球儀、その二つ目のピン
ガムランの“揺らぎ”からグリオの“声”へ。二つのピンを打ったいま、地球儀は南北に長い弧を描きながら回転し、未知の音風景を映し出す。次の旅路で我々は、どんな響きに遭遇するのか。耳を澄まし、声を持つ人々の足跡に触れたとき、あなた自身の記憶もまた歌となるだろう。それは、遠い地の物語でありながら、私たちが未来を語るための最も原初的な方法でもあるのである。
東京とバマコをつなぐ周波数──日本で出会うグリオ
日本でもグリオ音楽に触れる機会は着実に増えている。東京の老舗ライブハウス〈新宿PIT INN〉では、隔年で開催される〈Sahel Night〉にトゥマニ・ジャバテゆかりの若手が出演し、コラの倍音がジャズクラブの残響と混ざり合う。また、福岡のミニシアターでは映画『KIRIKOU et la Sorcière』の特集上映と併せ、現地グリオによるアフタートークが行われた。グリオの語りは翻訳字幕を超えて、声の抑揚そのものが聴衆を物語の内部へ招き入れる。レコードショップ〈Disk Union World〉の棚には、《The Rough Guide to Mali》など再発盤が並び、試聴機から流れるコラの音色が、通勤客の日常に一瞬の砂漠の風を送り込む。「異国の伝統」はもはや遠い見世物ではなく、都市の日常へと静かに馴染みはじめている。そこには、言語を越えた“呼吸の等価性”が見つかる。息を吸い、声を放つという単純な行為が、地理を横断して共感を生むのである。
音は旅を終えない。次の針を落とすのは、あなたの手である。さあ、耳を澄まそう。物語は続く。また次回。乞うご期待。