
ジャンルではなく、精神としてのアシッドジャズ
アシッドジャズは、単なるジャンルではなく、常に時代とともに揺らぎ、他ジャンルと交錯しながら再解釈されてきた文化的な運動である。そのスピリットは、過去の文脈に根ざしつつも、柔軟に変化し続ける。「アシッドジャズ」という言葉自体は、1990年代をピークに一般的な音楽語彙からやや後退した感もあるが、その美学と態度は、さまざまなシーンにおいて、今日も脈々と生き続けている。
現代UKシーンにおける再解釈
まず、アシッドジャズの影響が色濃く残る現代の音楽家たちに目を向けよう。たとえば、イギリスのジャズ・リバイバルの中心にいるシャバカ・ハッチングス率いるSons of KemetやThe Comet Is Comingなどは、ジャズにアフロビート、ダブ、エレクトロニカを大胆に融合し、90年代初頭のアシッドジャズ的な感性を現代的にアップデートしている。また、エマ=ジーン・サックレイやヌバイア・ガルシアといったアーティストたちも、クラブとジャズの垣根を取り払いながら活動しており、彼らの作品にはアシッドジャズの持つ「都市的スウィング」や「クラブ感覚の即興性」がはっきりと表れている。
日本におけるアシッドジャズの継承
日本においても、アシッドジャズのDNAは細く長く受け継がれている。例えば、Cro-MagnonやROOT SOULといったバンドは、ファンク、ソウル、ハウスのエッセンスを絶妙に融合させ、フロアを意識した生演奏というアシッドジャズの伝統を体現している。また、DJやレーベルの活動としては、沖野修也やKyoto Jazz Massiveによる新たな試み ── Kyoto Jazz Sextetのようなジャズ編成によるアルバムも記憶に新しい。彼らは「アシッドジャズのその先」を模索し続けており、そのスタンス自体がまさにこのジャンルの精神に他ならない。
LAのビートシーンにも広がるエコー
さらに視野を広げれば、ロサンゼルスを拠点とするBrainfeeder周辺、たとえばフライング・ロータスやサンダーキャットのようなアーティストたちも、明らかにアシッドジャズ以降のセンスをまとっている。彼らの作品は、エレクトロニクスとジャズの交差、ビートとハーモニーの実験性、そして黒人音楽に根ざした精神を併せ持っており、アシッドジャズの「混血性」や「開放性」と親和性が高い。
再発見と再提示の思想
また、アシッドジャズの重要な特徴のひとつであった「再発見と再解釈」という姿勢は、今日のリイシュー・ブームや、ヴァイナル文化の復興にもつながっている。DJたちが1970年代のレア・グルーヴやファンク、フュージョンを再発見し、クラブで再提示するという文脈は、アシッドジャズの本質と地続きである。ジャイルズ・ピーターソンが運営するBrownswood RecordingsやWorldwide FMなどのメディアは、そうした再解釈の場を現在も提供し続けている。
名前を超えて生きるアシッドジャズ
では、アシッドジャズは今後どこへ向かうのか。その答えは「アシッドジャズがアシッドジャズという名前で存在しなくてもいい」という柔軟性の中にある。アシッドジャズは、もはやひとつの形式ではなく、音楽的態度、あるいはキュレーションの思想として広がっている。ある音楽がソウルフルで、グルーヴィで、ジャンルの境界を軽やかに飛び越えるものであれば、それは広義のアシッドジャズと呼んでもよいのではないか。
例えば、SpotifyやYouTubeなどのストリーミングサービスで、多様なジャンルをまたいだプレイリストが人気を博している状況は、アシッドジャズ的なミクスチャー感覚の現代的な継承とも言える。ユーザーは、ジャズとエレクトロニカ、ネオソウルとヒップホップ、あるいはワールドミュージックとUKガラージといった組み合わせを無意識のうちに享受しており、それはかつてのアシッドジャズ・ファンが感じていた「ジャンルを越える快楽」にも通じている。
未来へ向かう越境の音楽
音楽フェスやライブの場でも同様である。たとえばロンドンの「We Out Here」や東京の「Freedom Sunset」など、ジャズ、クラブ、ルーツ音楽、そしてダンスミュージックを一堂に会したフェスティバルは、まさにアシッドジャズ的な価値観を21世紀的に再構成したものと言えよう。
アシッドジャズの旅は終わらない。それは、リスナーの耳と身体を踊らせるために、常に変化し、移動し、交じり合いながら存在し続ける。未来のアシッドジャズは、きっと今以上にジャンルを越え、国境を越え、時代を越えていくだろう。それは、いつかこの世界のどこかで、あるDJのプレイリストや、あるバンドの即興演奏、あるストリーミングのアルゴリズムの中で、また新たに発見されるに違いない。
それこそが、アシッドジャズが生きているという、何よりの証だと言えるだろう。

Jiro Soundwave:ジャンルレス化が進む現代音楽シーンにあえて一石を投じる、異端の音楽ライター。ジャンルという「物差し」を手に、音の輪郭を描き直すことを信条とする。90年代レイヴと民族音楽に深い愛着を持ち、月に一度の中古レコード店巡礼を欠かさない。励ましのお便りは、どうぞ郵便で編集部まで──音と言葉をめぐる往復書簡を、今日も心待ちにしている。