[連載:リスナーの記憶装置]第6回:そしてフィジカル再評価の今──「触れる音楽」がもたらすもの

データの海を泳ぎ疲れた私たち

Spotify、YouTube、Apple Music……音楽はあらゆる場所に満ちている。けれど、その無限の再生環境に、どこかで私たちは耳だけを残して、身体を置き去りにしてきたのかもしれない。

もう、音楽を「買う」必要はない。それは便利で、軽やかで、自由だ。だけど気づけば、「あのCDの背表紙」や「レコードを棚から引き出す瞬間」、あるいは「ケースの中に挟まれた歌詞カード」── そうした記憶は、私たちの生活から、そっと抜け落ちていった。

そんな時代の流れに逆行するように、ここ数年、フィジカルメディアの人気が再燃している。レコード店には若者が集まり、ZINEを手売りするインディーアーティストのブースには行列ができる。なぜいま、わざわざ「モノとしての音楽」が求められているのか?

「音が出るモノ」を持つということ

レコードには、重さがある。CDには、透明なプラスチック越しの輝きがある。カセットには、指でつまんで巻き戻すという行為がある。

そう、「音楽がモノである」ことで、人は“手を動かして聴く”という、いわば身体的なリスニング体験を取り戻す。ジャケットの手触り、針を落とす緊張、スピーカーから空気を震わせる感触──音楽が「場」を持ち始める。

そしてそこには、音楽に時間をかけるという贅沢が宿る。飛ばせない、不便、でもだからこそ集中して音と向き合う喜びが生まれるのだ。

ジャケットが語る、もう一つの物語

Spotifyでは1枚の小さなサムネイルだったアートワークが、フィジカルでは主役になる。レコードサイズの大きなジャケットに描かれたアートは、音楽の世界観を視覚的に伝える“装置”だ。

それはもはや、音楽の“付属物”ではない。アルバムを“作品”たらしめる最後の仕上げであり、作者とリスナーを結ぶもう一つの物語の入り口である。

ときにリリックブックとして詩を掲載したり、ときに写真集のようにバンドの日常が綴られていたり。
物語に没入する設計が、そこにはある。

デジタルでは届かない「誰かの手」のぬくもり

ZINEや自主制作CD、手焼きのカセットなどが注目される背景には、「作り手の顔が見える」ことへの信頼と愛情がある。どれだけクオリティが完璧でも、サブスクで届く音楽からは、“誰が作ったか”がわかりにくい。だが、ZINEの紙のにおいや、CD-Rに書かれたマジックペンの文字からは、誰かの手が動いた時間そのものが立ち上ってくる。

これらのメディアは言ってしまえば、“不完全”で“非効率”だ。でもその不完全さこそが、音楽と人との距離をあたたかく保ってくれる。

サブスクとフィジカル、対立ではなく共存へ

誤解してはいけないのは、これはサブスクに対するアンチではないということ。むしろ、フィジカルメディアの再評価は、ストリーミングに慣れ親しんだ人たちが「もう一歩先へ進みたい」と願った結果なのだ。

Spotifyで知った曲を、レコードで買う。Apple Musicで見つけたアーティストのZINEを手に入れる。無限の音楽の海から、特別な“ひとしずく”をすくい取って、自分の棚に置いておく──その行為に、いま多くの人が魅了されている。

音楽が「所有されること」の未来

音楽が“所有”から“アクセス”に変わった時代──。それでもなお、人は何かを手元に置いておきたいと願う。それは所有欲ではなく、記憶の定着であり、愛着の証であり、人生の節目を音楽で記録する方法なのかもしれない。

あの日、部屋で何度もかけたアルバム。失恋の夜に泣きながら読んだ歌詞カード。友達と交換したミックステープ。

そうした「モノ」としての記憶は、Spotifyでは再生できない。だからこそ、フィジカルの魅力はこれからも失われることはない。

シリーズを終えて──音楽の“聴き方”は生き方である

音楽とは、耳で聴くだけのものではない。目で見る。手で触れる。体を動かす。心に刻まれる。

SP盤からSpotifyまで──時代ごとに変わる「音楽との接し方」は、そのまま私たちの生き方の変遷そのものだった。どのメディアも、どの再生環境も、決して“過去のもの”ではない。それぞれが、その時代の「今を生きる人々の耳と心」に寄り添ってきた証である。

音楽はいつだって、私たちのそばにある。手元にあるときも、雲の向こうから届くときも。記憶の中でも、鼓膜を震わせる今この瞬間でも。

そして、これからも──どんなメディアを通じてであれ、
音楽は私たちの記憶装置であり続ける。

Sera H.:時代を越える音楽案内人/都市と田舎、過去と未来、東洋と西洋。そのあわいにいることを好む音楽ライター。クラシック音楽を軸にしながら、フィールド録音やアーカイブ、ZINE制作など多様な文脈で活動を展開。書くときは、なるべく誰でもない存在になるよう心がけている。名義の“H”が何の頭文字かは、誰も知らない。

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