[連載:FUNK IS POWER]第4回:ポップとファンクの蜜月──アース・ウィンド&ファイアーとクール&ザ・ギャングの拡張

ファンクは単なるダンス・ミュージックではない。それは人種、政治、スピリチュアリティ、そして大衆文化が複雑に交錯する音の運動体であった。本連載では、ジェームス・ブラウンの革新に始まり、スライ&ザ・ファミリー・ストーンによるユートピア的ヴィジョン、Pファンクの神話世界、そしてポップ化・商業化へと至るダイナミズムを全6回にわたって検証する。ファンクというジャンルが、いかにして20世紀後半のブラックカルチャーと世界の音楽地図を塗り替えたのか。その核心に、リズムとともに迫っていく。

1970年代半ば、ファンクはより広い大衆層へと歩み寄っていた。それは「メッセージ」や「抵抗」といった表現から一歩引き、踊れる音楽としての機能をより前景化させた動きであり、同時にファンクがポピュラーミュージックの中でいかに柔軟に変化できるかを示した重要な局面であった。その流れの中心にいたのが、アース・ウィンド&ファイアークール&ザ・ギャングである。

ファンクの宇宙性──アース・ウィンド&ファイアーの音楽的世界観

アース・ウィンド&ファイアーは、モーリス・ホワイトを中心に1970年代初頭に結成され、R&B、ソウル、ファンク、ジャズ、そしてラテンの要素までを融合した音楽性で知られている。彼らの最大の魅力の一つは、スピリチュアルかつ宇宙的なヴィジョンである。代表曲「Shining Star」(1975年)は、軽快なホーン・アレンジとグルーヴィなベースラインが印象的な一曲で、自分自身を信じることの大切さを歌い上げている。

彼らの代表作ともいえる『That’s the Way of the World』(1975年)は、アルバム全体が人間の成長と精神的な開放をテーマにしており、音楽が単なる娯楽にとどまらず、人々を啓蒙し、導くための手段であるという信念に貫かれている。「Reasons」や「September」といった曲は、恋愛やパーティーをテーマにしながらも、アレンジや演奏の精緻さによって高次の芸術性を獲得している。

アース・ウィンド&ファイアーの音楽は、ただのファンクではない。むしろ、ファンクを出発点にして、それをソウルやポップと融合させ、時には神話的・宇宙的な象徴性をまとわせながら展開された壮大な音楽叙事詩である。

クール&ザ・ギャングの進化──ジャズからパーティーファンクへ

クール&ザ・ギャングは、1960年代にジャズ・バンドとして始まり、徐々にファンクの文脈へと移行していったバンドである。彼らの初期作品には、インストゥルメンタル中心のジャズファンクが多く、そこから「Jungle Boogie」(1973年)や「Hollywood Swinging」(1974年)といったダンサブルなファンク・クラシックへと移行していく。

とりわけ1979年にリリースされた「Ladies’ Night」以降の路線は、より明快にパーティー・ファンクと呼ぶべきものである。「Celebration」(1980年)はその象徴的な楽曲であり、アメリカでは大統領選挙勝利やスポーツイベントの勝利後のアンセムとして幾度も使用された。彼らのファンクは、社会的メッセージというよりは「共有できる喜び」「集団的な祝祭感」にフォーカスしたものであり、それが多くの人々に受け入れられた大きな要因である。

ファンクの大衆化──ビジュアルとライブパフォーマンスの役割

アース・ウィンド&ファイアーとクール&ザ・ギャングが共通して重視していたのは、視覚的演出を含めた「総合芸術」としてのパフォーマンスである。特に前者は、ピラミッドや星々、黄金の衣装といった視覚的なモチーフを駆使し、ライブを一種のスピリチュアルな体験へと昇華させた。こうした演出は、1970年代のステージ演出の進化とも密接に関係しており、後のプリンスやマイケル・ジャクソンにも大きな影響を与えた。

また、テレビ出演やミュージックビデオの活用も、彼らの音楽がより多くの聴衆に届くうえで重要な役割を果たしていた。クール&ザ・ギャングは、MTV以前からダンス文化と密接に結びつき、楽曲そのものがクラブ・カルチャーやディスコと相性が良かったため、自然とパーティーの定番曲として広まっていった。

ファンクの柔軟性と普遍性──ジャンルを越えて

1970年代後半、ファンクはロック、ディスコ、さらには初期のヒップホップとも融合を始めていた。アース・ウィンド&ファイアーとクール&ザ・ギャングは、その最前線に立ちながら、ファンクの構造を崩さずに拡張していったアーティストである。彼らの音楽は、ブラック・ミュージックの枠組みを超え、人種や文化を越えて共有される「ポップ」へと昇華していった。

たとえば、「Get Down on It」(1981年)は、当時台頭しつつあったヒップホップ・カルチャーとも親和性を持ち、後にMC ハマーやスヌープ・ドッグらにサンプリングされることで、再び脚光を浴びた。また、アース・ウィンド&ファイアーの「Let’s Groove」(1981年)は、シンセサイザーとエレクトロファンクを融合させ、80年代ファンクの新しい方向性を指し示した。

終わりに──大衆とともに踊るファンクの哲学

アース・ウィンド&ファイアーとクール&ザ・ギャングの活躍は、ファンクが「黒人音楽の中のジャンル」の枠を超え、「万人が楽しめるダンス・ミュージック」へと変貌するプロセスを象徴している。そこには明確なメッセージ性を希薄化させるというリスクもあったが、一方で「希望」や「祝祭」という普遍的なテーマを通じて、人種や階級を越えた音楽体験を実現する力があった。

次回は、ファンクがディスコやヒップホップと結びつき、複雑なポップカルチャーの渦の中でどのように変容していったのかを見ていく。ファンクの柔軟性と影響力の広さを、より多角的に捉える旅の始まりである。

Jiro Soundwave:ジャンルレス化が進む現代音楽シーンにあえて一石を投じる、異端の音楽ライター。ジャンルという「物差し」を手に、音の輪郭を描き直すことを信条とする。90年代レイヴと民族音楽に深い愛着を持ち、月に一度の中古レコード店巡礼を欠かさない。励ましのお便りは、どうぞ郵便で編集部まで──音と言葉をめぐる往復書簡を、今日も心待ちにしている。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

  • URLをコピーしました!