[連載:リスナーの記憶装置]第4回:iTunesと「所有」から「管理」へ

音楽の聴き方が大きく変わったのは、iTunesという革命的な登場からだった。音楽は、もはや物理的な「所有」ではなく、データとして「管理」される時代に突入した。iTunesの登場は、音楽に対する私たちの意識を根本から変え、CDのように「手に取る」ことなく、いつでも好きな時に好きな曲を手に入れ、楽しめる自由を与えてくれた。その変化がもたらしたものは、音楽の“所有”という概念を超えた、まるで無限の棚を手に入れたかのような体験だった。

 パソコンが“音楽の部屋”になった日

2001年 ── Appleが「iTunes」をリリースした。翌年には、音楽プレイヤー「iPod」が登場。白くて薄いそのガジェットに、1000曲の音楽が収まるということは、部屋一面のCD棚を、ポケットに入れて持ち歩けるという意味だった。

かつて“物”として存在していた音楽が、ファイル名やアイコンになっていく。MP3やAACといった圧縮フォーマットは、“音のカタチ”を限界まで削り、「聴ければいい」時代を加速させた。音楽はフォルダに分類され、タグで検索され、プレイリストで管理される ── “持つ”のではなく“並べる”時代の到来である。

「自分だけの図書館」をつくる快楽

当時、音楽好きの間で流行ったのは、“データ化”のDIY。CDからリッピングし、アーティスト名や曲情報を手入力で整え、ジャケット画像もネットで拾ってきてiTunesに登録する。さらにジャンルや年代で分類して、**世界で一つの“マイ音楽アーカイブ”**を構築していく ── これがとにかく楽しかった。

レコードを棚に並べるように、音楽を「データの美学」で所有する感覚。それは一種の蒐集癖であり、オタク的な編集欲求の結晶でもあった。フォルダ名にこだわり、音質(192kbps?256kbps?)にこだわり、ジャケットのピクセルサイズにこだわる……。

音楽はこのとき、聴く対象であると同時に、“管理する対象”にもなったのだ。

「アルバムを聴く」という習慣の消失

CDの時代には、アルバムというフォーマットに物理的なまとまりがあった。だがiTunes以降、「1曲だけ買う/取り込む/聴く」ことが当たり前になると、アルバム単位の“構造”が崩れていく。アーティストが意図した曲順やトータル感は、“好きな曲だけ抜き出す”文化の中で徐々に薄れていった。

たとえば、宇多田ヒカルの『DEEP RIVER』や、Mr.Childrenの『シフクノオト』のようなアルバム全体で世界観を描く作品は、飛ばし聴きによって“分解”され、断片化していく。聴く側にとっては自由のようで、実は深く味わう力が失われていく瞬間でもあった。

アートワークから“音だけ”が残った

iTunesに取り込まれた音楽は、データベースの中に吸収され、CDジャケットや歌詞カードといったフィジカルな副産物が次第に忘れられていく。

音楽に「触れる」「眺める」「紙の質感を味わう」などの行為がなくなり、視覚的・身体的な情報が音から削ぎ落とされていく。音楽が“音”だけになっていくプロセス ── それは、人間の感覚との切り離しの物語でもあった。

さらにiPodやウォークマンなどのプレイヤーでは、アートワークはサムネイル以下の小さな存在。音楽はもはや“ジャケ買い”できないものとなり、「入口の魅力」が変質していく。

「持っている音楽」の終わり

iTunes Storeの登場は、音楽を物理的に買うという行為の終焉を告げた。1曲150円、アルバム1,500円 ── ワンクリックで手に入り、すぐ聴ける。配送も在庫も、CD棚もいらない。しかも、曲単位で購入できる。

ここで初めて、「音楽を持つ」ことの定義が変わる。

昔はCDを買った瞬間、“手に入れた感”が明確にあった。ジャケットを開け、歌詞カードを読み、音に浸る。その一連のプロセスが「所有」の実感だった。だがiTunesでは、購入後すぐにデータが表示されるだけ。その瞬間、音楽は「所有物」から「消費されるデータ」に変わっていった。

「シャッフル再生」がもたらした自由と無秩序

iTunesとiPodがもたらした最大の機能革命 ── それが“シャッフル再生”である。

アルバム順でもなく、ジャンル別でもなく、ランダムで音楽が流れ出す。これは、一見するとただの便利な機能に見えるが、実は音楽の聴き方のパラダイムシフトを意味していた。

アーティストや時代、ジャンルをまたいで曲が飛び出してくる体験は、音楽を**“流れ”として消費する感覚**に変えていく。つまり、流れるものを“受け取る”のではなく、流れてきたものに“意味を後付けする”感覚が生まれてくる。

これはやがて、ストリーミング以後の「ながら聴き」文化へと直結していく。

iTunesとは、リスナーの“整理整頓欲”の化身だった

総じて言えば、iTunesとは「音楽をどう管理するか」への答えだった。膨大な楽曲を、整理し、並べ、分類する。人間の“整えたい”という本能が、ここで強く表出したのだ。

だがそれと引き換えに、音楽体験は「便利」になりすぎ、偶然性や没入感が失われていった。整いすぎたデータベースの中では、感情が置いていかれる瞬間もあった。

CD時代のような“棚を眺めて選ぶ”体験も、レコード時代のような“針を落とす儀式”もない。iTunes以降、音楽は無音のパソコンの中で完結するものとなった。

Sera H.:時代を越える音楽案内人/都市と田舎、過去と未来、東洋と西洋。そのあわいにいることを好む音楽ライター。クラシック音楽を軸にしながら、フィールド録音やアーカイブ、ZINE制作など多様な文脈で活動を展開。書くときは、なるべく誰でもない存在になるよう心がけている。名義の“H”が何の頭文字かは、誰も知らない。

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