
「ジミは死んだ」──世界は静かに泣いた
1970年9月18日、ロンドンのサマーカンド・ホテル。 朝、恋人に発見されたとき、ジミ・ヘンドリックスはもう息をしていなかった。 報道は錯綜し、「オーバードース」「窒息死」「陰謀」など、様々な噂が飛び交った。だが、真実はひとつしかない。
それは、音楽が一人の天才を失ったということ。
27歳。クラブでブルースを弾き始めてから、わずか10年。 メジャーデビューから、たった4年。
彼が残したスタジオ・アルバムはたった3枚。だが、それだけでロックは”塗り替えられた”。
“27クラブ”──ジミもその一人となった
ブライアン・ジョーンズ(1969年)、ジミ・ヘンドリックス(1970年)、ジャニス・ジョプリン(1970年)、ジム・モリソン(1971年)、そして後にカート・コバーン、エイミー・ワインハウス……。 “27歳で夭折したアーティスト”を「27クラブ」と呼ぶようになったのは、これら伝説的なミュージシャンたちの相次ぐ死がきっかけだった。
ただし、ジミの場合、それはただの悲劇ではない。
彼の死は「伝説化」の始まりであり、 彼の不在は「音楽史の空白」を示すのではなく、新たな扉を開いたのだ。
プリンス、トム・モレロ、アンダーソン・パーク──ジミの遺伝子を持つ者たち
ジミ・ヘンドリックスの後に登場したギタリストたちは、少なからず彼の影の中で生きてきた。
プリンス──魂の継承者 プリンスは、黒人であり、ギタリストであり、異端児であり、セクシャリティを超越したステージの王だった。 彼の楽曲《Purple Rain》のギター・ソロには、明確にジミのスピリットが宿っている。
トム・モレロ(Rage Against the Machine)──現代の”マシンガン” ジミがギターを兵器に変えたように、モレロはエフェクターと技術でギターを”武器”に変えた。 社会への怒り、叫び、ノイズ。ジミのDNAが、90年代のストリートに蘇る。
アンダーソン・パーク──グルーヴとサイケの再接続 ブラック・ミュージックとロックの境界線を曖昧にしながら、ジミの”Electric Church”の精神を21世紀に引き継ぐのが、彼のようなアーティストだ。 パークのドラムと歌のハイブリッドなスタイルは、ジミのジャンル破壊主義を見事に体現している。
過去を焼き尽くして、未来を鳴らした男
ジミ・ヘンドリックスの功績は、「ギターを歯で弾いた」とか「音を燃やした」といった表層的な伝説ではない。
本質は、彼が”音楽という構造”そのものを破壊したことにある。
- ロックとブルースの融合
- 黒人の視点からのロック表現
- 即興とスタジオ録音の境界の解体
- ギターという楽器の再定義
- ライブにおける”個”の開放
これらは、いずれも当時の既成概念を打ち砕くものであり、後のファンク、ヒップホップ、ポストロック、エクスペリメンタルな電子音楽へと脈々と受け継がれていく。
ジミは「火の鳥」のようだった。 自らを燃やし尽くし、灰の中から、未来の音楽を生んだ。
エレクトリック・チャーチは続いている
ジミは音楽を通して人々をつなげ、自由を求める「エレクトリック・チャーチ」という思想を掲げていた。
彼のエレクトリック・チャーチ──音楽によって人々をつなげ、自由を求める思想──は、彼の死後も続いている。
現代のフェス、ジャム・バンド・カルチャー、エクスペリメンタル・ロック、さらにはAI時代の音楽創作にまで、その魂は脈打っている。
だから、ジミ・ヘンドリックスは終わらない
たった4年。3枚のアルバム。27歳での死。 けれど、ジミ・ヘンドリックスという存在は、その枠を超えた”概念”になった。
彼はもう、ひとりのギタリストではない。 彼は今、世界中のスタジオで、ステージで、ヘッドフォンの中で、更新され続けている”問いそのもの”なのだ。
「音楽は、どこまで自由になれるのか?」 「自分自身の声を、どう鳴らすのか?」 「演奏とは、革命になり得るのか?」
ジミ・ヘンドリックスは今も、私たちにそう問いかけ続けている。
ジミ・ヘンドリックスという”自由”を、この時代にどう聴き直すか──それは、あなた自身の耳で確かめていただきたい。

Jiro Soundwave:ジャンルレス化が進む現代音楽シーンにあえて一石を投じる、異端の音楽ライター。ジャンルという「物差し」を手に、音の輪郭を描き直すことを信条とする。90年代レイヴと民族音楽に深い愛着を持ち、月に一度の中古レコード店巡礼を欠かさない。励ましのお便りは、どうぞ郵便で編集部まで──音と言葉をめぐる往復書簡を、今日も心待ちにしている。