
ジャズは20世紀初頭のアメリカで誕生し、その後100年以上にわたり進化を続けてきた音楽である。ニューオーリンズの街角で生まれた即興演奏は、やがてスウィング時代のダンスミュージックへと発展し、ビバップによって知的な芸術へと昇華された。さらに、モード・ジャズやフリー・ジャズが新たな表現を切り拓き、フュージョンやスムース・ジャズが多様なリスナーへと広がっていった。
そして2000年代以降、ジャズはヒップホップやエレクトロニカ、ワールドミュージックと融合しながら、新たな時代を迎えている。ロバート・グラスパーやカマシ・ワシントンが現代ジャズを牽引し、UKジャズシーンではシャバカ・ハッチングスやアルファ・ミストが独自の進化を遂げている。
今もなお変化し続けるジャズ。その歴史を紐解きながら、音楽の魅力と未来を探っていこう。
1960年代のジャズは、激動の時代背景とともに音楽的にも大胆な飛躍を遂げた。とりわけ「モード・ジャズ」と「フリー・ジャズ」というふたつの潮流は、既存のジャズ理論や演奏様式を根底から問い直し、新たな音楽的宇宙を切り拓いた。これらのスタイルは、単なる技法の変化ではなく、ジャズがより深く個の精神と向き合うための手段として発展したものであった。
モード・ジャズ ── スケールによる解放と内省的探求
モード・ジャズは、従来のコード進行に依拠するバップやハード・バップとは異なり、一定のモード(旋法)── たとえばドリアン、ミクソリディアンなど ── を基盤として即興を展開する手法である。この手法は、コードチェンジの呪縛から演奏者を解き放ち、より自由なメロディの構築と深い内省的表現を可能とした。
モード・ジャズの象徴的作品として、マイルス・デイヴィスが1959年に発表した『Kind of Blue』が挙げられる。本作においては、マイルス自身の寡黙で叙情的なトランペットに加え、ジョン・コルトレーンやキャノンボール・アダレイといった当代きってのサックス奏者、そしてピアニストのビル・エヴァンスが参加し、洗練された響きを創出した。冒頭の「So What」は、Dドリアン・スケールを軸に展開され、モード・ジャズの本質を端的に表現している。
このスタイルは、他の音楽家たちにも大きな影響を与えた。ピアニストのマッコイ・タイナーは、コルトレーンとの共演を通じて、モーダルなコード・ヴォイシングを深めたひとりである。タイナーの重厚かつスピリチュアルな和声感は、モード・ジャズにおける和声的自由の可能性を示したと言えよう。
1965年に発表されたジョン・コルトレーンの『A Love Supreme』は、モード・ジャズの枠組みをさらに越えた作品である。全四部構成からなるこのアルバムは、コルトレーンの宗教的啓示と精神的探求を音楽に昇華したものであり、各パートが特定のモードとテーマに基づいて構築されている。とりわけ「Acknowledgement」の繰り返されるモチーフとコルトレーンの祈るようなブロウは、モード・ジャズが単なる即興の手法ではなく、自己と宇宙を結ぶ儀式たりうることを示している。
フリー・ジャズ ── 形式からの完全なる逸脱
1960年代中盤以降、モード・ジャズの実験性をさらに推し進めた形で登場したのが、フリー・ジャズである。フリー・ジャズは、リズム、ハーモニー、構造といった従来の音楽的規範を放棄し、完全な即興性を追求するスタイルである。演奏者たちは事前のスコアや明確な構成を持たず、全身全霊でその瞬間の音楽を生み出す。
このスタイルの旗手として知られるのが、アルトサックス奏者のオーネット・コールマンである。1961年にリリースされた彼のアルバム『Free Jazz: A Collective Improvisation』は、ふたつのカルテットが左右のステレオチャンネルに分かれて同時に即興演奏を行うという、当時としては異例の試みに満ちていた。この作品における音楽は、しばしば混沌と形容されるが、その内側には自由を尊ぶ秩序が存在し、聴き手の認識を揺さぶる独特のエネルギーがある。
もうひとり、フリー・ジャズを語る上で欠かせないのがアルバート・アイラーである。彼の1964年のアルバム『Spiritual Unity』は、伝統的な旋律を破壊しつつも、ゴスペルや行進曲といったアメリカ民衆音楽のエッセンスを内包する演奏によって、新たな霊性を提示した。アイラーのサックスは、技術的洗練を超え、叫び、祈り、魂のうねりそのものである。
また、ピアニストのセシル・テイラーは、フリー・ジャズの中でもとりわけ攻撃的かつアヴァンギャルドなアプローチで知られる存在である。彼の演奏は、鍵盤上での爆発的なエネルギーの連鎖であり、楽器を物理的・精神的に極限まで押し広げる挑戦であった。
規範から解放された音楽の先に
モード・ジャズもフリー・ジャズも、形式の否定ではなく、形式を超えた新たな自由の模索であった。両者は即興というジャズの核心に立ち返りつつ、それをより深く、より高次元に引き上げた。ジャズというジャンルが、単なる娯楽音楽から精神的芸術表現へと進化する過程において、1960年代のこの潮流は決定的な意味を持つ。
この時代の音楽に耳を傾けることは、即興とは何か、自由とは何かを問い直すことに他ならない。そして、それは現代の音楽においてもなお、有効な問いかけである。

Jiro Soundwave:ジャンルレス化が進む音楽シーンにあえて抗い、ジャンルという「物差し」で音を捉え直す音楽ライター。90年代レイヴと民族音楽をこよなく愛し、月に一度は中古レコード店を巡礼。励ましのお便りは郵便で編集部まで