
民族音楽は、その土地の暮らしや風土、信仰、歴史を音に刻み込んだ、人類の“声”である。電子音が世界を席巻する今もなお、世界各地には太鼓や笛、声と手拍子だけで継承されてきた音楽文化が息づいている。この連載では、アフリカのサバンナからアジアの山岳地帯、南米の密林から極北のツンドラ地帯まで、世界中の知られざる民族音楽を訪ね歩く。単なる紹介にとどまらず、その背景にある文化や物語にも光を当て、音楽を通じて世界をより深く知る旅へと誘う。音の地球儀を、いま一緒に回しはじめよう。
北アフリカ、モロッコ──砂漠と海に挟まれた土地には、人びとの魂を震わせる音楽が息づいている。アンダルス音楽、グナワ、ベルベルの歌──それらは単なる伝統ではなく、異文化が重なり、歴史と記憶を刻み込んだ”音の層”である。ウード、カーヌーン、ゲンブリ、そしてグナワのカルカバ──楽器が奏でる響きは、聴く者を儀式的トランスへと誘う。今回は、北アフリカの音楽世界を旅し、その起源、形式、そして現代に息づく変容を探る
アンダルスの遺産──歴史的交差点としてのモロッコ
モロッコの音楽文化を語るには、まず歴史の厚みを理解する必要がある。8世紀から15世紀にかけて、イスラーム勢力によるアル・アンダルス文化がイベリア半島を席巻した。この時代の芸術は、イスラム文化圏の高度な音楽理論、詩的表現、即興の技法を融合していた。レコンキスタにより多くのイスラーム文化圏の人々が北アフリカへと流入し、モロッコにはアンダルスの旋律とリズムが根づいた。
アンダルス音楽は、古典的な歌(ヌーバ)と器楽演奏(ウード、カーヌーン、ラバーブなど)から成る。旋律は主にマカーム(アラブの旋法)に基づき、微分音を含む独特の音階構造を持つ。これは、西洋音楽の平均律では表現できない微妙な情感を伝える。
グナワ──魂を揺さぶる低音と儀式
アフリカ大陸西部、特にマリやセネガルなど西アフリカから連れてこられた人々の子孫が形成したグナワ文化は、モロッコの音楽のもう一つの重要な柱である。グナワは中世以降の歴史と密接に結びつき、もともとは精神的・宗教的儀式の音楽であった。
グナワ音楽の中心は、低音弦の弾き語り楽器「ゲンブリ」と、鉄製の打楽器「カルカバ」、そして太鼓の「トゥベル」、それに呼吸を伴う集団コーラスである。演奏は長時間に及び、トランス状態を誘発する。リズムの反復、テンポの変化、低音と高音の交錯──これらは聴く者を儀式的な境界空間に導く。
民族の交錯──ベルベル文化の影響
モロッコ北部のアトラス山脈地域では、ベルベル(アマジグ)民族の音楽が根強く存在する。ベルベル音楽は、歌、太鼓、笛(ナイ)、そして弦楽器による旋律を特色とし、祭礼や農耕儀礼に密着している。そのリズムはポリリズム的で、アンダルス音楽やグナワの儀式音楽と接点を持つこともある。
ベルベル語(タマジグト)で歌われる歌詞は、自然や先祖、神話の物語を伝えるものであり、音楽は生きた記録装置として機能する。現代の若手ベルベルアーティストは、エレクトロニカやヒップホップを取り入れ、伝統と現代の融合を試みている。
近隣諸国の影響──アルジェリア発祥のライ
モロッコの音楽シーンには、隣国アルジェリア発祥の「ライ」も大きな影響を与えている。ライは1920年代にアルジェリアのオラン地方で生まれ、都市部の若者たちによって継承された。社会批判や恋愛を主題とした即興歌が特徴で、その後モロッコにも広まった。
ラジオやクラブを通じて都市化されたライは、現代的な電子音と融合し、モロッコではアンダルスやグナワの伝統的要素を再解釈する独自の発展を遂げている。
グナワ・フェスティバル──伝統の祭典と現代化
モロッコのエッサウィラで毎年開催される「グナワ・フェスティバル」は、伝統と現代の出会いの場となる。国内外のミュージシャンが集まり、グナワの伝統的儀式音楽にジャズ、ブルース、ロックなどを融合する。
このフェスティバルでは、グナワ音楽がもつトランス性と即興性が強調される。観客は踊り、歌い、身体でリズムを感じることで、参加型の音楽体験を享受する。音楽は単なる娯楽ではなく、歴史的・宗教的な記憶を現代に生き返らせる手段となっている。
現代の創造──若手アーティストと世界化
若手モロッコ音楽家は、伝統の枠を超えて世界とつながる。電子音楽、ジャズ、ヒップホップと融合した作品は、モロッコ音楽を国際的舞台に押し上げている。たとえば、Maâlem Houssam Guiniaは伝統グナワを守りつつ、世界の音楽祭に出演している。
こうした動きは、文化の保存と革新の両立を示すものであり、モロッコ音楽が単なる過去の遺産でなく、今も生きて呼吸していることを証明している。
結び──音の層としての北アフリカ
モロッコの音楽は、単なるアラブ・アフリカ音楽ではなく、何層もの文化が折り重なった”音の地層”である。アンダルス音楽の優美な旋律、グナワの低音とリズム、ベルベルの自然と祭礼に根ざした歌──それらが重なり、儀式、祝祭、日常生活に彩りを与えてきた。
音楽は記録であり、祈りであり、魂の共鳴である。聴く者は、演奏される瞬間にその歴史の厚みを体感する。モロッコ音楽の豊かさは、砂漠と海が交わる土地の記憶そのものであり、私たちに未知の世界を開く扉となる。

Sera H.:時代を越える音楽案内人/都市と田舎、過去と未来、東洋と西洋。そのあわいにいることを好む音楽ライター。クラシック音楽を軸にしながら、フィールド録音やアーカイブ、ZINE制作など多様な文脈で活動を展開。書くときは、なるべく誰でもない存在になるよう心がけている。名義の“H”が何の頭文字かは、誰も知らない。








